このブログを読んでくださっている方,一人ひとりに,お名前があるかと思います。
個人の名前というのは,日常生活のなかで身近でありふれた存在ですが,弁護士の仕事をしていると,名前についても,法的な観点から調べなければならないことが多々あります。
名前について,法的な話をいたしますと,
個人の名前は,戸籍法という法律に基づいて,父母,本籍地,生年月日等の情報と結び付けて,戸籍に記録されています。
戸籍法では,子供が生まれた場合,出生の日から14日以内に出生届をすることと定められており(戸籍法49条1項),その際に届け出をしなければならない事項として,父母の氏名や本籍地などを届出るように定められています(戸籍法49条2項)。
このように,戸籍制度が確立した現代では,個人の名前は,戸籍に記載されている本籍地等の情報とつながって公的に記録され,重要な本人確認の資料となるため,簡単に自分の名前が気に入らないからという理由で,名前を変えることはできません。
名前を変えようと思った場合には,名前を変えることに正当な理由がある場合で,家庭裁判所の許可を得たうえで届け出をする必要があります(戸籍法107条の2)。
このように現代では,個人の名前が出生とともに戸籍に記録され,その後は,よほど大きな事情がなければ一生同じ名前を名乗り続けることが一般的です。
しかし,歴史を振り返ってみれば,必ずしもこのような制度が一般的であったわけではなく,たとえば古代から近世にかけては,一生の間に名前を何度か変えるのが普通であった時代もあります。
たとえば,足利高氏が後醍醐天皇から「尊氏」の名を名づけられて名乗るようになった例のように,身分の高い人に縁のある一文字をもらって名前にするような例もありましたし,
通常は,幼名と成人した後では名前が変わるのが普通でした。
足利尊氏の例でいえば,幼名は又太郎で,成人して足利高氏,さらに足利尊氏と名前が変わっていったことになります。
名古屋は三英傑のうち豊臣秀吉,織田信長を輩出した土地ですが,織田信長にも吉法師という幼名が伝えられています。
豊臣秀吉については,出自の問題で,正確な幼名が伝えられているわけではないようですが,物語などでは日吉丸として登場することがよくあります。
幼名という制度も調べてみると面白いもので,戦国時代の大名の幼名では「~法師」「~丸」「~千代」といった,いかにも時代劇にでてきそうな名前が多いようですが,さらに時代をさかのぼると,紀貫之の幼名のように現代人の感覚ではなぜそのような幼名を?と思ってしまうような名前がつけられているケースもございます(興味のある方は,紀貫之の幼名をインターネットで検索してみてください)。