七夕の昔話が大人になってみると怖い話に思えることについて

7月というと七夕があります。

このまえ、近所のお寺の前を通ると、竹にたくさんの短冊をつるしていて、季節を感じました。

小学校のころから、短冊に抱負や願いをかいたりして、七夕というと楽しいいイベントであった記憶です。

また、七夕の昔話も、天の川をわたって織姫と彦星が逢うことのできる日ということで、どちらかというと男女の愛情にかかわるロマンチックな話として、子供の頃は、なんだか綺麗ないい話としか感じていませんでした。

しかし、七夕の昔話は、より詳しく思い出すと、もともと機織りの織姫と牛飼いの彦星が恋仲に落ちて、仲睦まじく過ごすばかりで真面目に働かなくなったため、天の神が二人を天の川によって引き離し、真面目に働いていれば年に1回だけ逢うことを許すことにしたという話です。

弁護士という仕事柄、どうしても「働く」という言葉をきくと、労働基準法などの労働法規を連想してしまいますが、大人になって七夕の昔話を考えてみると、両性の合意により結びついた婚姻関係にある二人を、無理やり引き離して隔離し、1年間の労働を強制し、ただ1年に一度だけ逢うことが許されるという話なわけですから、ロマンチックどころか凄まじいブラックな労働環境と人権侵害の話です。

苛酷な労働環境、機織りというキーワードを合わせると、「女工哀史」や「あゝ野麦峠」、「糸をひくのも国のため」といった話がおのずと想起されますが、歴史をふりかえれば、織姫の神話のように、家族と引き離されて労働を強いられたエピソードはたくさんあるのでしょう。

近年では、働き方改革などで残業時間の規制など、労働時間を制限する方向性が顕著ですが、考えてみると、様々な労働法規による保護と規制も、長い問題解決の歴史の中で形成されてきた、貴重な遺産なのだなと感慨深く感じます。