令状なしGPS捜査について

先日,最高裁判所が,令状なしで捜査対象者の車両にGPSを取り付ける捜査手法について,違法との判断を行いました。

弁護士としては,興味深い判決です。

法律家以外の方には,あまり興味がもたれない判決かもしれません。

また,犯罪に関わっている人を捜査するのに,どうして,GPSを使って捜査することが認められないんだと不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

ここで注意が必要なことは,最高裁が,GPSを捜査に利用すること自体を問題にしているわけではなく,

「令状なし」で,そのような捜査をすることが違法だといっていることです。

簡単にいってしまうと,

最高裁は「GPSを使って警察の方が捜査すること自体はダメじゃないけれども,

GPSを勝手に車両などに取り付けて捜査することが,どんな場合に許されて,どんな場合に許されないのかは,

国会議員のみなさんで話し合ってルールを決めたうえで,裁判所がそのルールにしたがって個別にチェックしますよ。

それまでは,警察の方が勝手に自分の判断でやってはいけませんよ。」と言っているのです。

「犯罪者を取り締まるのに,なにを悠長なことをいっているだ。」という批判もあるかもしれませんが,

このような最高裁の考え方を説明するのに,分かりやすい言葉が「実体的正義」と「手続的正義」という考え方です。

犯罪者を捕まえること,そのために捜査をすることは正義にかなったことです。

このように,実現しようとされている結果自体が正義にかなったものであることを「実体的正義」といいます。

しかし,いくら実体的正義にかなった結果(たとえば,犯罪者を捕まえたり,処罰したりすること。)を実現するためだとしても,

手段を選ばすに警察が捜査する社会(たとえば,警察が一般の方の家庭に盗聴器を仕掛けて回ったり,車に片っ端からGPSを取り付けて監視したりする社会)は,怖くて住みづらいものです。

そこで,いくら実体的正義(犯罪者を捕まえたり処罰したりすること)を実現するためだとしても,捜査をしたり処罰をしたりすることは,一定のルールに従ってやり過ぎないようにやって欲しいという考え方がでてきます。

このように,実体的正義を実現するための手続・手段・過程・プロセスについても,一定のルールに従って適切に行われるべきだという考えが「手続的正義」という考え方です。

簡単にいってしまうと,「結果がよければ,やり方は何でも良い」というのではなく,「結果もやり方も,両方とも正しくやってください」ということです。

特に,警察などの国家権力による捜査は,万が一にも,権力が濫用された場合には,市民の生活に悲惨な結果を引き起こすこととなりますので,

日本の法制度では,警察の捜査が行き過ぎたものにならないように,裁判所が見守る仕組みが整備されています。

それが,警察の行う捜査のうち,捜査対象者の意思を無視して強制的に行われる捜査などについては,あらかじめ裁判所のチェックを受けて「令状」によるお墨付きを得なければならないという仕組みであり,先ほど述べた「手続的正義」を制度化したものです。

今回の最高裁の判断は,「実体的正義」という観点から,犯罪者の車両等にGPSを取り付けて捜査することを否定するものではないけれども,「手続的正義」という観点から,警察の方が「令状なし」にGPSを利用した捜査を行うことは認められないという判断をしたものと言えるかと思います。

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