「孤独」という言葉があります。
特に,近頃では独居老人の生活についてニュースなどでも取り上げられることがふえたように思います。
ところで,「独居老人」という表現を目にすることはありますが,「孤居老人」という表現を目にすることはありません。
「孤独」という熟語が存在していることを考えると,どちらの表現もあってよさそうなものですが,「独居老人」という表現以外には違和感があります。
また,親のいない子供について「孤児」という表現もあります。
「孤児」という言葉は日常用語でも使いますが,法律用語でもあります。
弁護士は,仕事のなかで児童福祉法などにふれることもありますが,同法には「孤児」という表現が明記されています。
しかし,両親がいなくて孤独な状態の子供を「独児」と表現することはありません。
「孤独」とひとつの熟語になって使われることもある言葉であるのに,「独」という漢字は専ら老人に,「孤」という漢字は専ら子供に結び付けて,使われています。
このことについて,先日,興味深い古典の一節を知りました。
古代中国の諸子百家の古典の一つに『孟子』という書物があります。
その一節に「老而無妻曰鰥、老而無夫曰寡、老而無子曰獨、幼而無父曰孤、此四者天下之窮民而無告者」という文章があるそうです。
翻訳文等を読んでいると,この一節の意味は,おおむね「年老いて妻のいない人のことを「鰥」といいます。年老いて夫のいない人のことを「寡」といいます。年老いて子供のいない人のことを「獨(独)」といいます。幼い子供なのに,父親のいない子のことを「孤」といいます。この「鰥寡独孤」という人たちこそが,この社会で困窮している人たちです。」というような意味だそうです。
この一節を読むと,現代の日本語の「独居老人」「孤児」といった表現と,見事に一致しています。
また,国民年金法には「寡婦年金」といって,夫に先立たれた妻のための給付が定められていますが,ここでも「寡婦」ということばは「老而無夫曰寡」という孟子の一節と整合しています。
おそらく「独居老人」「孤児」「寡婦」といった現代の日本語を考え出した人は,相当に漢文の素養の深い方々で,中国の古典からづつく漢文の言葉の用法を熟知したうえで,老人については「独」,子どもについては「孤」,婦人については「寡」という表現を当てはめていたものと思われます。
自分が,普段何気なくつかっている日常用語や法律用語にも,実は,遠い中国の古典にまで遡ることのできるルーツがあるのだなと思い,興味深く思いました。