文化財保護法について 2

先月、京都の祇園祭りとの関係で、文化財保護法についてご紹介いたしました。

実は、8月も文化財保護法にゆかりのイベントがございます。

あまり知られていない記念日ですが、8月には文化財保護法施行記念日がございます。

文化財保護法は、昭和25年(西暦でいうと1950年)5月30日に公布され、同年8月29日に施行されました。

そのため、毎年8月29日は文化財保護法施行記念日となります。

もっとも、この記念日は、国民の祝日に関する法律において祝日にされている記念日ではありませんので、暮らしの中で意識することはほとんどありません。

文化財保護法が作られた経緯は、昭和24年(1949年)1月26日に法隆寺の金堂が焼けたことから、文化財を保護するために法的な制度整備が求められたことによります。

1949年1月の火事をうけて翌年の5月に法律が公布され、8月に施行されているので、迅速に立法における対応がされたのだと思います。

文化財は一度失われると、取り返しがつきませんので、文化財保護法の成立経緯も踏まえて、あらため文化財保護の重要性に思いをはせたいと思います。

なお、1949年というと、当時の歴史的背景を考えると、日本はまだ連合国の占領統治下におかれていた時代であり、政治的にも経済的にも日本が大きな困難を抱えていた時期です。

8月15日は終戦記念日ですが、これは昭和20年(1945年)8月14日に日本がポツダム宣言を受諾し、同年8月15日に終戦の詔勅がなされたことによります。そのため、8月15日は終戦記念日となっています。

1945年8月に終戦を迎えてから1952年まで日本はGHQによる占領統治下に置かれましたが、この間、軍国主義と結びつく恐れがあるという理由で武道や日本神話に関連するものなど、日本の伝統文化にたいする文化面での締め付けもあったと聴きます。そのような制約や、政治・経済の困難を抱えていた時期に、それでも当時の政治家が日本の伝統的な文化を軽視することなく、文化財を保護しようとして文化財保護法を成立させていたことに、深い感慨を覚えます。

なお、戦前には文化財を保護する法制度がなかったのかというと、そういうわけではありません。調べてみると、明治30年には古社寺保存法という法律がつくられて古社寺の建造物や宝物を内務大臣がどのように保護管理するかについての法制度が定められています。

また、昭和4年には国宝保存法が成立し、「建造物、宝物其ノ他ノ物件ニシテ特ニ歴史ノ証徴又ハ美術ノ模範ト為ルベキモノ」を国宝として指定して国外への持ち出しを禁じたり、保護・保存をどのようにするかについて定めが置かれています。

なお、文化財保護法、古社寺保存法、国宝保存法はどれも日本の伝統的な文化財をどのように守っていくかという観点からつくられた法律です。

ただし、法律のつくりをみてみると、ずいぶん書かれ方が違います。私は、法制史の研究を専門的にやったわけではないので、はっきりした理由はわかりませんが、まず法律の第1条の作りが違います。

文化財保護法1条では「この法律は、文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もつて国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする。」として、この法律は何のために作られた法律なのかをみんなが理解できるように趣旨が明記されています。

これに対して、古社寺保存法1条は「古社寺ニシテ其ノ建造物及宝物類ヲ維持修理スルコト能ハサルモノハ保存金ノ下付ヲ内務大臣ニ出願スルコトヲ得」となっており、国宝保存法1条も「建造物、宝物其ノ他ノ物件ニシテ特ニ歴史ノ証徴又ハ美術ノ模範ト為ルベキモノハ主務大臣国宝保存会ニ諮問シ之ヲ国宝トシテ指定スルコトヲ得」とかかれており、いわゆる法律の趣旨は特に記載されていません。いきなり、具体的なルールの記載から始まっています。

古社寺保存法や国宝保存法の書き出しは、いきなり統治機構がどのように行動するのかについてのルールの記載から始まる点で、統治者が統治者の目線で統治のために作った法律という印象を受けます。

他方で、文化財保護法は1条に趣旨規定をおいていて、法律の読み手である国民を意識し、法律の目的とするところを広く国民に周知しようという意図を感じます。

また、文化財保護法4条3項で「政府及び地方公共団体は、この法律の執行に当つて関係者の所有権その他の財産権を尊重しなければならない。」と、権力側が文化財保護を理由に、文化財を所有・保管する私人の権利をみだりに制限しないよう注意がされています。

これに対して、古社寺保存法では7条で「社寺ハ内務大臣ノ命ニ依リ官立又ハ公立ノ博物館ニ国宝ヲ出陳スルノ義務アルモノトス但シ祭典法用ニ必要ナルモノハ此ノ限ニ在ラス 前項ノ命ニ対シテハ訴願ヲ為スコトヲ得」、8条で「前条ニ依リ国宝ヲ出陳シタル社寺ニハ命令ニ定メタル標準ニ従ヒ国庫ヨリ補給金ヲ支給スルモノトス」、9条で「神職住職其ノ他ノ監守者ニシテ内務大臣ノ命ニ違背シ国宝ヲ出陳セサルトキハ内務大臣ハ其ノ出陳ヲ強要スルコトヲ得」と記載されています。カタカナ混じりで読みにくいですが、要約すると、内務大臣が「出陳」つまり、お寺や神社が保管している文化財を博物化に差し出して陳列するように命令ができる仕組みになっています。宗教儀式につかうとかそういう事情があれば例外なので、何か不満があるなら訴えて願出てくれれば検討するし、命令をきいてちゃんと文化財を出陳すれば補給金を支給するという配慮はされていますが、最終的には、出陳しなさいという命令がきたら社寺には従う義務があるし、従わない場合には、内務大臣は社寺に出陳を強制することができますよという内容です。

また、国宝保存法7条でも「国宝ノ所有者ハ主務大臣ノ命令ニ依リ一年内ノ期間ヲ限リ帝室、官立又ハ公立ノ博物館又ハ美術館ニ其ノ国宝ヲ出陳スル義務アルモノトス但シ祭祀法用又ハ公務執行ノ為必要アルトキ其ノ他巳ムコトヲ得ザル事由アルトキハ此ノ限ニ在ラズ」とあり、1年内の期間に限りという配慮がされているものの、主務大臣の命令で国宝を出陳する義務がかされています。

あくまで、個人の感想レベルの話ですが、古社寺保存法や国宝保存法の作りと、文化財保護法の作りを見比べると、「なるほど随分と民主的なつくりにかわったな。」という感想を持ちます。

なお、戦前の古社寺保存法や国宝保存法も、きちんと補給金の支給規定や訴願による不服申し立て制度を整備している点で、決して文化財の所有者の権利を無視しているわけではありません。この点で、戦前は専制的で悪く、戦後は民主化されて良くなったというような単純な比較をするべきではありません。

ただし、同じ文化財保護というテーマの法律の書き方が、戦前と戦後でどのように変わっているのかを見比べると、法律の基本的な設計思想の変化を感じられて、興味深い題材だと思いました。