発達障害という病気について

先日、ネットニュースで発達障害と診断される児童が増加傾向であるという記事が掲載されていました。

少子化の日本では、児童数は減少の一途をたどっていますが、発達障害とされる児童の数はむしろ増加しているとのことです。

発達障害と診断される児童の割合が増えている原因については、いろんな考え方があります。

なかには、現代社会の様々な病理が子供の発達障害を増やしているのだというような言い方をする人もいます。

ただ、そもそもの問題として、「発達障害と診断される児童の数」=「発達障害を持つ児童の数」ではないことには注意が必要です。

つまり、全ての児童のなかで「発達障害を持つ児童」の割合は、昭和も平成も令和の今も特に変わってはいないけれども、単純に発達障害という病気が広く認知されるようになったため、「発達障害と診断される児童の数」が増えただけという可能性もあるのです。

発達障害の要因について、以前は、生育環境に求める見解もありましたが、現在では、発達障害自体は先天的な発達特性であって生育環境等によって左右されるものではないという考え方が主流です。

弁護士法人心では、障害年金の申請サポートを行っており、私も職務の中で発達障害と診断された方からご依頼をいただくことがたくさんあります。

障害年金の申請は20歳以降に可能となるため、発達障害と診断された児童と接する機会は少ないですが、20歳まじかの未成年のお子さまとご家族の方が一緒に来所されて、障害年金の申請について相談を受けることは少なくありません。

このような相談を受けている私の感覚からしてもと、発達障害の原因が良好ではない生育環境にあるという考え方は、非常に違和感を感じます。

なぜなら、実際に、発達障害と診断されたお子様と一緒に来所されたご家族の方の大半は、非常に人柄の良いお客様であり、ご家族でお話されている様子からも家庭環境に問題があるとはとても思えないケースがほとんどだからです。

もちろん、限られた法律相談の時間でしかないため、家庭環境の全てを推し量ることはできませんが、少なくとも発達障害の原因が家庭環境の問題というのは、私の直感には大きく反するものでした。

むしろ、安易に発達障害の原因を家庭の生育環境などに求める旧い考え方には、発達障害児を持つ家庭や親に対する偏見を助長し、ひいては、発達障害を公表することが困難になり、障害年金などの社会福祉制度に、発達障害を抱える家庭がアクセスする妨げになる懸念があります。

また、発達障害の原因とは別に、そもそも論として「発達障害」という概念が、排除の理論として機能してはならないということが意識されるべきです。

これは、以前、ブログに記載した障害の社会モデルの考え方にもつながる考え方ですが、本来、「発達障害」概念は、平均的な特性とは異なる発達特性(一つのことに過度に集中するであるとか、注意力が極端に散漫であるなど)を抱えた人について、ASDやADHDというような診断名をつけることで、周囲の人間が、その方の特性をより良く理解して、コミュニケーションのとり方を調整していくことで、発達特性が生み出す社会生活上の障害を減らしていく、あるいは、失くしていくことに意義がある概念であると思います。

学校の教育現場などで、よく紹介される事例などでは、ADHDを抱える児童がいる学校で、注意が散らないように、黒板周りの掲示物を撤去するなど環境整備をすることで、授業に落ち着いて向き合うことができるようになったというような事例があります。

理想論かもしれませんが、こういった、発達障害を、「その特性にあわせてどういう調整をすればよいか?」という前向きな視点でとらえる考え方が広まってくれれば、発達障害の有無にかかわらず暮らしやすい社会になるのではないかと思います。