弁護士法人心は,新たに柏駅法律事務所を開設することとなりました。
弁護士法人心の千葉における最初の支店となります。
柏駅法律事務所のホームページはこちらになります。
弁護士は日々法律を使って仕事をしていますが,ふと気になったのが,日本で一番短い法律はなんだろうかということです。
全ての法律を調べたわけではないですが,一番短い法律は失火責任法という法律だそうです。
5月3日は憲法記念日です。
弁護士の仕事をするうえで,憲法の条文をそのまま使って相手方に請求をしたりすることは,あまり多くありませんが,
日本の法律の根本にある重要な法律が憲法です。
日本には,民法,民事訴訟法,民事執行法など数えきれないほど多くの法律がありますが,すべての法律は,憲法に抵触しないように定められ運用されなければなりません。
ちなみに,現在,ニュースなどでも憲法の条文を改正しようという話を良く耳にします。
日本では,日本国憲法として,条文に書かれた憲法という法律が存在しています。
このような国を,成文憲法の国といいます。
「孤独」という言葉があります。
特に,近頃では独居老人の生活についてニュースなどでも取り上げられることがふえたように思います。
ところで,「独居老人」という表現を目にすることはありますが,「孤居老人」という表現を目にすることはありません。
「孤独」という熟語が存在していることを考えると,どちらの表現もあってよさそうなものですが,「独居老人」という表現以外には違和感があります。
また,親のいない子供について「孤児」という表現もあります。
「孤児」という言葉は日常用語でも使いますが,法律用語でもあります。
弁護士は,仕事のなかで児童福祉法などにふれることもありますが,同法には「孤児」という表現が明記されています。
しかし,両親がいなくて孤独な状態の子供を「独児」と表現することはありません。
「孤独」とひとつの熟語になって使われることもある言葉であるのに,「独」という漢字は専ら老人に,「孤」という漢字は専ら子供に結び付けて,使われています。
このことについて,先日,興味深い古典の一節を知りました。
古代中国の諸子百家の古典の一つに『孟子』という書物があります。
その一節に「老而無妻曰鰥、老而無夫曰寡、老而無子曰獨、幼而無父曰孤、此四者天下之窮民而無告者」という文章があるそうです。
翻訳文等を読んでいると,この一節の意味は,おおむね「年老いて妻のいない人のことを「鰥」といいます。年老いて夫のいない人のことを「寡」といいます。年老いて子供のいない人のことを「獨(独)」といいます。幼い子供なのに,父親のいない子のことを「孤」といいます。この「鰥寡独孤」という人たちこそが,この社会で困窮している人たちです。」というような意味だそうです。
この一節を読むと,現代の日本語の「独居老人」「孤児」といった表現と,見事に一致しています。
また,国民年金法には「寡婦年金」といって,夫に先立たれた妻のための給付が定められていますが,ここでも「寡婦」ということばは「老而無夫曰寡」という孟子の一節と整合しています。
おそらく「独居老人」「孤児」「寡婦」といった現代の日本語を考え出した人は,相当に漢文の素養の深い方々で,中国の古典からづつく漢文の言葉の用法を熟知したうえで,老人については「独」,子どもについては「孤」,婦人については「寡」という表現を当てはめていたものと思われます。
自分が,普段何気なくつかっている日常用語や法律用語にも,実は,遠い中国の古典にまで遡ることのできるルーツがあるのだなと思い,興味深く思いました。
私は,昔から趣味で落語のテープを聴いたりしていたのですが,
笑福亭鶴光さんの落語の枕には,よく「ほんまに,高齢化社会でんなあ」というセリフが登場します。
近頃,法律相談などで相談者の話を聞いていると,しみじみと「ほんまに,高齢化社会でんなあ」と実感することが多いです。
たとえば,交通事故等の案件でも,認知症の高齢者の方が加害者や被害者になるケースを多く見るようになった気がします。
少し前には,認知症の男性が線路に入って電車にひかれた事故で,遺族の方が監督義務者として電車の会社から損害賠償請求を受けた裁判がニュースで話題になりました。
そのほかにも,老齢の父母がセールスマンに騙されて不必要に高額な商品を購入することが続いていて困っているというような相談などもよくあります。
こういった高齢者を巡る法的トラブルについては,今後,弁護士も一層力を入れて取り組んでいくことになるだろうと思います。
古代ローマというと,紀元前後にイタリアを中心に地中海沿岸に栄えた,歴史上の大帝国であり,
地理的にも歴史的にも,現代日本とは大きな隔たりのある存在です。
何年か前に,「テルマエ・ロマエ」といった古代ローマを舞台にした漫画や映画が流行したことがありましたが,そういった文芸の話を抜きにすると,ほとんど縁のない世界の話に思えます。
しかしながら,法制度という観点からみると,古代ローマと現代日本の民法は,意外に深いつながりがあります。
たとえば,法学部生が民法を学び始めた最初の頃にであう「契約締結上の過失」といった議論でも,
法学部では「culpa in contrahendo」などという厳めしい用語とともに,ローマ法まで遡って講義をうけます。
これは,現代民法の制定に際して,ローマ法が直接参考にされたからではありません。
現代民法は,フランスの法学者であるボアソナードの協力を得て,明治時代にフランス民法典等のヨーロッパ諸国の法令に,日本の慣習等も考慮して制定されたものです。なお,フランス民法典は,別名,ナポレオン法典とも呼ばれることがありますが,これは,フランス革命の話で登場する有名なナポレオンの関与のもとにフランス民法典が制定されたことによります。
そして,そのフランス民法典(ナポレオン法典)の制定に際しては,ヨーロッパ各地の慣習法だけでなく,古代ローマのローマ法も大いに参照されたようです。
明治以降の日本は,欧米の法制度を積極的に輸入しアレンジすることで,国家・社会の基礎を築いてきましたが,その欧米の法制度は,さらにさかのぼると,中世のヨーロッパ各地の慣習法や,古代ローマの法制度,さらには,その背景にある古代ローマやギリシャの人間観などにもつながっていくものであり,歴史や文化の思いもよらないつながりに,面白みを覚えます。
先日,最高裁判所が,令状なしで捜査対象者の車両にGPSを取り付ける捜査手法について,違法との判断を行いました。
弁護士としては,興味深い判決です。
法律家以外の方には,あまり興味がもたれない判決かもしれません。
また,犯罪に関わっている人を捜査するのに,どうして,GPSを使って捜査することが認められないんだと不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
ここで注意が必要なことは,最高裁が,GPSを捜査に利用すること自体を問題にしているわけではなく,
「令状なし」で,そのような捜査をすることが違法だといっていることです。
簡単にいってしまうと,
最高裁は「GPSを使って警察の方が捜査すること自体はダメじゃないけれども,
GPSを勝手に車両などに取り付けて捜査することが,どんな場合に許されて,どんな場合に許されないのかは,
国会議員のみなさんで話し合ってルールを決めたうえで,裁判所がそのルールにしたがって個別にチェックしますよ。
それまでは,警察の方が勝手に自分の判断でやってはいけませんよ。」と言っているのです。
「犯罪者を取り締まるのに,なにを悠長なことをいっているだ。」という批判もあるかもしれませんが,
このような最高裁の考え方を説明するのに,分かりやすい言葉が「実体的正義」と「手続的正義」という考え方です。
犯罪者を捕まえること,そのために捜査をすることは正義にかなったことです。
このように,実現しようとされている結果自体が正義にかなったものであることを「実体的正義」といいます。
しかし,いくら実体的正義にかなった結果(たとえば,犯罪者を捕まえたり,処罰したりすること。)を実現するためだとしても,
手段を選ばすに警察が捜査する社会(たとえば,警察が一般の方の家庭に盗聴器を仕掛けて回ったり,車に片っ端からGPSを取り付けて監視したりする社会)は,怖くて住みづらいものです。
そこで,いくら実体的正義(犯罪者を捕まえたり処罰したりすること)を実現するためだとしても,捜査をしたり処罰をしたりすることは,一定のルールに従ってやり過ぎないようにやって欲しいという考え方がでてきます。
このように,実体的正義を実現するための手続・手段・過程・プロセスについても,一定のルールに従って適切に行われるべきだという考えが「手続的正義」という考え方です。
簡単にいってしまうと,「結果がよければ,やり方は何でも良い」というのではなく,「結果もやり方も,両方とも正しくやってください」ということです。
特に,警察などの国家権力による捜査は,万が一にも,権力が濫用された場合には,市民の生活に悲惨な結果を引き起こすこととなりますので,
日本の法制度では,警察の捜査が行き過ぎたものにならないように,裁判所が見守る仕組みが整備されています。
それが,警察の行う捜査のうち,捜査対象者の意思を無視して強制的に行われる捜査などについては,あらかじめ裁判所のチェックを受けて「令状」によるお墨付きを得なければならないという仕組みであり,先ほど述べた「手続的正義」を制度化したものです。
今回の最高裁の判断は,「実体的正義」という観点から,犯罪者の車両等にGPSを取り付けて捜査することを否定するものではないけれども,「手続的正義」という観点から,警察の方が「令状なし」にGPSを利用した捜査を行うことは認められないという判断をしたものと言えるかと思います。
2月14日はバレンタインデーということもあり,いつもはピリピリと緊張した空気で仕事をする弁護士事務所の中も,
心なしか空気が緩んで感じられます。
今年も女性従業員から,男性従業員一同へのチョコレートを贈っていただきました。
こういう,イベントは忙しい仕事のなかで,良い気分転換になります。
例年,ホワイトデーには,男性従業員一同から女性従業員への返礼も行われます。
チョコレート食べるだけなら,自分で買えばいいのですが,こういうイベントで贈答されるのには,また格別のありがたみがあります。
贈答といえば,弁護士の仕事をしていると,お客様から,お菓子等をいただくこともございます。
通常の民事事件のお客様からであれば,ありがたく頂戴させていただいているのですが,
国選弁護事件の依頼者及びそのご家族から,そのようなお話をいただいたときには,丁重にお断りさせていただいております。
これは,弁護士のルール上,国選弁護人が,名目を問わず,被告人その他の関係者から報酬その他の対価を受領することが禁止されているからです(弁護士職務基本規定第49条)。
二月は,古くは「如月(きさらぎ)」と読んだそうです。
「きさらぎ」の語源は諸説あるそうですが,寒さのために,衣服を着たうえにさらに着込むという,「着更着」だという説が有力のようです。
弁護士の仕事は,スーツ着用が大半ですので,上に着ることが出来てもコートぐらいです。
名古屋にこれだけ雪が積もったのは,久しぶりではないでしょうか。
相当に強い寒波が来ているようです。
私も,帰り道,革靴で何度か転倒しかけました。
雪の影響で,スリップなどによる交通事故も懸念されるところです。
弁護士法人心では,交通事故被害者の救済に力を入れておりますので,
事故のことで何かお困りごとがあれば,お気軽にお問い合わせください。
あけましておめでとうございます。
弁護士法人心では,新年4日から営業を開始いたします。
本年も,よろしくお願いいたします。
今年も残すところ,あとわずかとなってまいりました。
なにかと忙しい,弁護士の仕事ですが,年末年始ぐらいは,初詣に行って,あとは,ゆっくり家で寝ていたいものです。
前回,後遺障害逸失利益の計算についてお話させていただきました。
そのなかで③労働能力喪失期間の年数のライプニッツ係数というものが登場しました。
このライプニッツ係数とは何なのか,なぜ,このような計算をするのかということについては,弁護士は数学等の専門ではありませんので,なかなか説明が難しいところです。
ただ,基本的な考え方は,利息の逆算とでもいう考え方だと説明できるかと思います。
後遺障害逸失利益というものは,将来の収入の減少分をまとめて損害賠償時点で支払ってもらう制度です。
そのため,たとえば,後遺障害が平成28年に残った事案であれば,平成29年の収入,平成30年の収入,平成31年の収入・・・・というものを全部合計してまとめて支払ってもらうことになります。
民法では,法定の利率で5%(いまどき,こんな金利を付けてくれる銀行はどこにもありませんが。)と定められておりますので,
平成31年の年収を,平成28年に手に入れられれば,その金額を利率5%で運用して,平成31年に収入を得るよりも多くの利益を得ることができるようになってしまう,
それでは,収入の減少分以上の賠償金を被害者が手にすることになって不公平だという考えがあります。
そこで,「利率5%で運用した場合に,平成~年に~万円になる金額はいくらか?」ということを逆算していく必要がでてきます。
これを,毎回電卓で計算していたのでは,仕事になりませんので,計算結果をまとめたライプニッツ係数年金現価表をつかって,計算をするのが通常です。
弁護士の仕事をしていると,交通事故の被害者の方の後遺障害について損害賠償の計算をする機会が数多くあります。
交通事故の後遺障害逸失利益の計算は
①基礎収入(多くは交通事故の前の年の年収などを参考にして決められます)
②労働能力喪失率(認定された後遺障害等級に応じて決められます)
③労働能力喪失期間の年数のライプニッツ係数
の①~③を掛け合わせて計算します。
要するに,①このくらい稼いでいた人が,②事故で仕事が不自由になって,このくらい収入が減少することが,③このくらいの期間続くのだから,
その分をまとめて賠償金として支払うべきだ,というのが後遺障害逸失利益の考え方です。
弁護士法人心では,毎年一回,従業員の健康診断を行っています。
弁護士の仕事をするうえで,突然倒れてしまっては大変ですから,
年に一回は,体調を確認することに意味があります。
今年も,健康診断にいってきました。
今日,結果がかえってきました。
弁護士の仕事をしていると,細かな言葉遣いに注意を払わねばなりません。
普段何気なく使っている言葉でも,
いざ正式に文書に書いて依頼者や裁判所に送らなければならなくなると,
これで間違っていないのかと不安になることはたくさんあります。
たとえば,先日は,「インターフォン」が正しいのか「インターホン」が正しいのか悩みました。
調べてみると,原語の発音に近いのは「インターフォン」ですが,広く使われている表記は「インターホン」であり,どちらも間違いではないようです。
いま,弁護士会のなかで,弁護士の専門家認定制度を作ろうという動きがあるようです。
お医者さんであれば,外科の先生,内科の先生,産婦人科の先生と,専門科が明確に書かれていて,お医者さんを選ぶときに便利な仕組みになっています。
「息子が急に熱を出したので診てください」といって,脳神経外科を訪問する人は,およそ考えられません。
しかし,弁護士の業界では,そもそも,どの弁護士がどの分野を得意としているか,力を入れているかが利用者に分かりづらいのが現状かと思います。
その点で,専門家認定制度というのは面白い試みだと思います。
他方で,認定基準や都市部と地方での弁護士の取り扱い分野の多様性の違い等から,本当に制度として機能するのかという疑問もだされています。
一度,弁護士を利用する側の立場の方にも,「~分野の専門家」というお墨付きが弁護士会から与えられている弁護士に対してどういう印象をもち,何を期待するのか,考えて,意見をきかせていただきたいなと思います。
「偏り」と「片寄り」というよく似た言葉の使いわけをご存知でしょうか。
「偏り」は,ある基準から一方に寄っていることであり抽象的な話です。
「片寄り」は,真ん中から外れて片方に寄っていることであり,具体的にイメージがしやすいかと思います。
前回書いた,弁護士の東京一極集中は,弁護士全体の分布といういみでいうと,東京に著しくバランスが傾いているという点で「偏り」という表現が出来るかと思います。
また,名古屋は日本のど真ん中といったりしますが,
東西の地理的な問題でいうと,名古屋を中央において東の方の東京に弁護士が多いという状況をイメージすると「片寄り」ということもできるかもしれません。
弁護士の人数は,地方ごとにかなりばらつきがあることをご存知でしょうか。
現在,日本の弁護士の数は約3万6000人です。
そのうち,半数近い約1万7000人の弁護士が,東京の弁護士会に所属しています。
次に多いのは,大阪ですが,人数は約4200人程度であり,東京に比べるとはるかに少ない人数です。
愛知県弁護士会も,比較的多くの弁護士が所属している弁護士会ですが,それでも約1800人程度の人数であり,東京の弁護士の10分の1程度の規模です。
いかに,東京に弁護士が集中しているかがおわかりいただけるかと思います。
どの業界にも,業界特有の話題というものがあるものです。
弁護士(および法学部生)のなかで時々でてくる話題は,「あなたの一番好きな条文は何ですか?」というものです。
よくある答えとしては民法の一番初めにでてくる「信義則」の条文や,変わり者の弁護士ですと「大日本帝国憲法第1条」という答えもあったりします。
もし,法律関係のお仕事をされていない方で,弁護士と会話する際に,会話の話題に困ったときには,ぜひ「あなたの一番好きな条文は何ですか?」と問うてみてください。