ゾンビは生きているか(生きた死体の殺人罪の客体性に関する刑法的考察)

10月はハロウィンの季節です。

今年は,若干,盛り上がりが弱くなっているようですが,この季節になると,東京や名古屋など都市部に,ゾンビや幽霊の仮装をした若者があふれかえります。

このような風景は,慣れない人からするとギョッとするものですが,見慣れてくると,なかなか面白みもある日本の秋の風物詩となっております。

ところで,ゾンビといえば,生きた死体といわれ,死んでいるのに動き回り,あるいは歩き,あるいは走り回って,人を襲い食べる怪物として,映画などでよく登場するキャラクターです。

映画のなかでは,ゾンビを銃で撃ったり,ナイフで切ったりして,斃すシーンがしばしば登場します。

弁護士や法学部の学生などがあつまって,そのようなゾンビ映画を見ていると,かならずでてくる議論が,ゾンビを斃すことについて,何らかの刑法的な責任を問われることがあるかということです。

映画によって,ゾンビの生態は異なりますので,一概に結論をだすことはできませんが,多くの映画では,ゾンビは身近な人間が,他のゾンビにかまれたことでゾンビ化したものとして描かれます。

そのため,ある登場人物にとって,あるゾンビは,身近な家族がゾンビ化したものである場合があります。

このような場合,主人公があっさりと,当該ゾンビを殺傷した場合には,そのゾンビの家族であった人間からは,家族を殺されたかのような感情を持たれるおそれがあります。

仮に,このようなケースで,ゾンビの家族から,殺人罪等で起訴された場合に,殺人罪が成立する余地があるのでしょうか。

通常は,ゾンビは死体だから,死体損壊罪にしかならないというのが,法律を学んだ人間たちのよくある回答です。

しかし,私としては,あえてここでその点について,掘り下げて考えてみたいと思います。

刑法では,殺人罪の客体となりうる「人」と言えるかどうかの判断基準として「人の始期」や「人の終期」というものについて,大真面目に議論が展開されています。

書店で,刑法の法学書を読んでいただければ,「殺人罪」の項目で,いろんな学説が紹介されています。

代表的な学説は「脳死説」という,脳の機能停止をもって,人の死とする学説です。また,「三兆候説=総合判定説」といって,呼吸の停止,瞳孔拡大,脈拍の停止の三つの兆候で人の死と判断する学説もあります。さらに,「脈拍停止説」や「呼吸停止説」というように,脈の有無や,呼吸の有無だけで判断する学説もあります。

これらの学説を踏まえた場合,映画に登場するゾンビは,殺人罪の客体にならないのでしょうか?

私は,以前,某アメリカのゾンビ映画の一説のなかで,「ゾンビは脳機能の大部分が失われているがもっとも原始的な脳は活動を続けているため,食べるという本能だけに従って人を襲って食べるのだと」という説明をしているを聞いたことがあります。そうすると,ゾンビは脳幹部の機能が完全かつ不可逆的に喪失したとは言い難いのかもしれません。そのため,「脳死説」を採用した場合には,ゾンビは,いまだに人の終期を迎えておらず,殺人罪の客体となる可能性があることになります。

また,「三兆候説」や「呼吸停止説」を採用した場合でも,多くのゾンビ映画では,ゾンビは人を襲うとき,叫び声をあげています。人体の構造上,発声は,肺から排出される呼気が声帯を振るわせて行うものです。そのため,仮に,ゾンビが叫び声をあげているのだとすると,そのゾンビは少なくとも,自発的に呼吸をする能力を備えていることとなります。したがって,「三兆候説」や「呼吸説」を採用しても,ゾンビは,未だ生きた人間であり,殺人罪の客体となるという解釈がありえます。

最期に,「脈拍停止説」についてですが,そもそも,私は,映画のなかでゾンビの脈を測っているシーンというのを見たことがありません。そのため,ゾンビが脈を有しているのか否かについては不明です。もし,ゾンビの心臓が動いていないのであれば,「脈拍停止説」を採用すれば,問題なく,ゾンビは「人」ではないと断言することができます。

ゾンビは,あくまでフィクションの話ですので,上記の検討は,あくまで思考実験のようなものですが,

このように,一見,常識的に簡単に判断できそうな物事でも,よくよく追及していくと,「本当にそうなのか?」ということが法律の世界ではよくあります。

法律の世界は,一般の方が,自分の常識感覚で判断して行動すると思わぬ落とし穴にはまることのある怖い世界です。もしなにか法律に関して迷われた場合には,どんなことでも,まずは弁護士など法律の専門家に相談していただくと良いのではないかと思います。