9月はお月見の季節です。
昔から、9月の満月は中秋の名月と呼ばれ、重陽の節句や中秋節といった特別な日として扱われて、お月見をしたり一家団欒を楽しんだりといった行事を行う日になっています。
このように9月の満月を特別に大切にする風習は、広く東アジア全般に広がっており、その起源は古代の中国の伝統行事にあるようです。
クリスマスやバレンタイン、ハロウィンといった欧米渡来の行事に比べると、扱いが地味な印象がありますが、
デパートではお月見団子が売られますし、マクドナルドでは期間限定のお月見バーガーが販売され、中華物産展には月餅が並ぶなど、中秋の名月にあわせた商戦も行われています。
今年は、大阪では幸いにして雲が少ない良い天気であったため、中秋の名月をしっかり眺めることができました。
月というのは考えてみると面白いもので、太陽が毎日同じ形で空に昇るのに対して、月には満月、半月、三日月、新月というように満ち欠けがあります。
中秋の名月を、多くの人がありがたがって鑑賞するのは、次の日の夜にはすぐに欠け始めて、「満月は今日しか見られない」という、稀少性に価値を感じる心理が働くからでしょう。
このように、満ち欠けをする月の特徴についてあれこれと思いを巡らせていると、古代の人が、月の満ち欠けをもとに暦を作ったのも、なるほどとうなづけます。
現在の日本で普通に使われているカレンダーは、太陽暦に基づくものになっていますが、江戸時代までは月の運行にあわせて作られた太陰暦が使用されていたとききます。
太陰暦は、日本では旧暦などと呼ばれて、すっかり廃れていますが、中華圏などでは現役で使用されているようです。
インバウンドの商売などに関連して、中国の旧正月についてニュースで取り上げられることも増えた気がしますが、日本の正月と旧正月の違いは、まさに使う暦の違いによって生じる違いです。
また、中国の知人から〇月〇日が誕生日ときいていたので、その日に「誕生日おめでとうございます。」といったら、「今日は、私の誕生日じゃないですよ。今日は太陽暦の〇月〇日ですが、私の誕生日は太陰暦の〇月〇日です。」という反応が返ってきて、両者の違いに戸惑うこともあります。
このような暦の違いによって生じる文化の違いは、仕事に直接かかわらない分野についてであれば、「興味深いですね」という程度の扱いで済みますが、仕事にかかわってくると大きな問題になります。
例えば、弁護士の仕事をしていて、〇月〇日が裁判所に書類を提出する期限ですといわれていたときに、使用されている暦が何種類もあったのでは、実際にいつまでに書類を出せばいいのか判断できなくて、仕事になりません。
今の日本では、使用される暦が統一されているので、このような問題は発生しませんが、「〇月〇日に~しましょう。」といったら、誰もが同じ暦を見て、同じ日時を特定して行動できる状況は、当たり前のことだと思っていましたが、あらためて考えてみると、重要な社会の制度の一つなのだなと気づかされます。
ちなみに、日本で現在使用されている暦が、どうして公的に正しい暦だといえるのかという、法的根拠を調べてみると、明治時代に出された太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)にまでさかのぼるようです。
国の法令データベースで、布告の文面もすぐに検索することができるのですが、興味深いので以下に本文を引用しておきます。
「詔書写
朕惟フニ我邦通行ノ暦タル太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス置閏ノ前後時ニ季候ノ早晩アリ終ニ推歩ノ差ヲ生スルニ至ル殊ニ中下段ニ掲ル所ノ如キハ率子妄誕無稽ニ属シ人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセス盖シ太陽暦ハ太陽ノ躔度ニ従テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖モ季候早晩ノ変ナク四歳毎ニ一日ノ閏ヲ置キ七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス之ヲ太陰暦ニ比スレハ最モ精密ニシテ其便不便モ固リ論ヲ俟タサルナリ依テ自今旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン百官有司其レ斯旨ヲ体セヨ
明治五年壬申十一月九日」
要約すると、明治天皇のお言葉として、太陰暦は不便だからこれからは太陽暦を使いなさいと指示がされたということです。
普段何気なく利用しているカレンダーも、法的根拠を遡ると、太政官布告にまでさかのぼるのだなと、歴史の深さに感慨深く思います。