弁護士が民事事件について依頼者から依頼を受けて、裁判をするとき、訴状や答弁書、その他の準備書面などたくさんの書類を裁判所と相手方との間でやりとりします。
この弁護士の仕事の内容というのは、通常、こういうことがあったとか、こういうことがなかったとか、ここにこんな証拠があるとか、そういう事実関係や証拠関係について細かく論じていることが多いです。
依頼者の視点でみたとき、もしかすると、なぜこんなことを書いているのかわからない、もっとこういうことをアピールした方がいいのでは?と疑問を持つこともあるのではないかと思います。
しかし、裁判(とくに民事事件の裁判)には、要件事実という考え方に従って進んでいくので、一見強力に見える反論でも、裁判の中では無意味であることもあります。
野球のようなスポーツで喩えると、ホームラン級の強い長打でも、ファールゾーンに打ち込んでは点数につながらないのと同じで、裁判のなかで相手方の言い分に反論する際には、裁判官が判決を欠く際の判断材料になるように、裁判のルールに従って、こちらの反論の内容を整理する必要があります。
この要件事実によって判断をする、裁判の基本的なルールを知っておくと、なぜ弁護士がこのタイミングで、このことを書かないといけなかったのか理解しやすくなるかもしれません。
要件事実というのは聴きなれない言葉だと思いますが、要件というのはこの文脈では、言い換えれば「求める結論を得るための条件のセット」というように考えていただくとわかりやすいのではないかと思います。
まず、民事事件の裁判というのは、誰かが誰かに対して何かの民事上の権利を実現したくて行われるものです。
例えば、AさんがBさんに10万円でバイクを売ったのに、代金を払ってもらえないというようなときに、AさんはBさんに対して代金を支払ってもらう権利を実現するために裁判を起こすというように整理して考えます。
ちなみに、このような「AさんがBさんに対してこれこれの権利を実現したいからこういうことをしろ。」と求めることを、特に「請求」という用語でいいます。
そして、この判断を、裁判所は法律に基づいて行うので、まず、Aさんが求めているのは、法律のどこに根拠があるのだろうか?というのを特定します。少し、弁護士っぽい表現をつかうと「請求の根拠となる法律構成」を確認するということです。
例えば、先ほどの事例のように売買の代金を払って欲しいとAさんが言っている場合には、AのBに対する売買契約に基づく代金支払請求というように、Aさんの「請求」の具体的に特定します。
そして、Aさんの「請求」の法的な構成が具体的に特定できたら、次に、『「AさんがBさんに売買契約に基づいて代金を支払ってもらう権利がある」といえるのは、どういう場合だろうか?』と、いうことを考えます。
これも、法律の世界の話ですので、「何法の何条に何と書いてあるか?」ということの確認からスタートします。
売買契約については、民法555条に、「売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。」と書かれていますので、まずは、民法555条のような約束がAB間であったとすれば、AさんはBさんに対して代金を払って欲しいと請求する権利があるだろうと考えられます。
ただし、「売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。」というのは、すごく抽象的な表現です。
Aさんが「Bにある財産権を移転することを約束した。Bはそれに対して代金を支払ったことを約束した。だから、代金を払って欲しい。そういう判決を書いて欲しい。」と裁判官に言ったとすると、裁判官の頭の中には、「何を売ったの?」、「いつ売ったの?」。「いくらで売っ?」というような疑問が浮かびます。
そこで、実際の裁判では、裁判官が実際に民法555条に書かれているような約束がAB間であったのか無かったのかを判断するための前提として、具体的な事実として、どういうこと(事実)があったとAさんが言っているのかを特定する必要があります。
これは、裁判のなかでほとんど決まった書き方があり、「Aさんは、Bさんに対して、令和●年●月●日に、●●●●のバイクを1台、代金10万円で売った。」というように、売買の契約の内容を具体的な事実として特定して書く必要があります。
ここで、具体的に特定された事実が本当にあったことだと裁判官が判断すれば、Aさんの請求は認められますし、Aさんの言っている事実が本当にあったとは判断できなければ請求は認められないことになります。
この具体的に特定された事実が、「求める結論を得るための条件のセット」であり「要件事実」と呼ばれるものです。
裁判を起こす側が「請求」の内容を特定し、「請求の内容」が特定されるとその法律構成にしたがって、具体的な事実として「要件事実」が特定されます。
裁判官は、あくまで「Aさんは、Bさんに対して、令和●年●月●日に、●●●●のバイクを1台、代金10万円で売った。」という要件事実のありなしで、Aさんの請求を認めるかを判断するので、このとき、Aさんが可哀そうだとか、Aさんが10万円の代金を払ってもらえないと、今月の電気代が払えなくて困るとか、Bさんは年収が高くてお金が余っているはずなのにお金を払わないのはずるいとか、そういう事情は裁判所の判断に直接関係はしません。
そして、「要件事実」が特定されると、次に問題になるのがBさんの反応です。
このとき、Bさんからの応答は、①認める、②否認する、③不知という3つに整理されます。
①認めるというのは、Aさんが主張するような要件事実通りの事実があったと認めることです。
②否認するというのは、反対にAさんが主張するような事実はなかったという回答です。
③不知というのは、そもそもAさんがいうような事実があったかどうかは知らないということです。
売買契約の当事者間であれば、不知というのは少し想像しづらいですが、例えば、AがBにお金をかしていたところ、CがAから債権を譲り受けてCがBに貸金の返還を請求したというようなときに、BとしてはAからCに債権者が交代したかどうかは詳しい事情をしらないので「不知」と回答するなどの場合が考えられます。
Bが②否認をした場合には、裁判所はBの否認の理由も踏まえて、最終的には証拠に基づいてどっちの言い分に分があるかを判断します。
たとえば、Bさんが「Aからバイクを受け取るという話はしたけど、あれはあくまでタダで貸してくれるといったから、夏休みの間だけ借りる約束をしたのだ。買うという話ではなかったし、10万円払うというような話はしていない。」というように言った場合が、否認とその否認の理由の具体例です。
とこで、このような裁判のAB間の反論を整理するときに「抗弁」という言葉が法律用語の中で登場することがあります。
一般的な言葉としては、相手の意見に対抗する主張の意味ですが、法律用語のなかでは、要件事実という考え方から、特別な意味合いを持った言葉として使われています。
この抗弁というのは「否認」とは別の角度からの反論で、BさんがAさんの主張する要件事実の全部または一部を認めたうえで、だとしても請求は認められないと主張するときに使う言葉です。
例えば、Bさんが「確かに、Aからバイクは買ったし、代金を払うと約束もした。でも、Aは一向にバイクをわたしてくれない。だったら、自分もお金は払えない。」こういう主張をするときのことです。
さきの「否認」はそもそもAの言っている事実が間違っているという反論であるのに対して、「抗弁」はAの言っている事実は認めるけれども法律上代金を支払わなくてもよい根拠がBにはあるから代金は払わないという反論です。
話を簡単にするため、売買代金請求という非常にシンプルな事例で基本的な要件事実の構造をご紹介しました。
実際の裁判では、Aから相談を受けた弁護士は、Bにお金を払わせたいというAの目的を達成するために、売買代金支払請求以外の法律構成もないかなどいろいろ考えて、複数の法律構成と要件事実を組み合わせて裁判を起こすこともありますし、Bから相談を受けた弁護士は、一つ一つの請求について、証拠関係などもにらみながら、否認するのか、否認するとしてどういう理由や証拠を示すのか、あるいはAの主張する要件事実が認められたときに、それでも支払いを回避できる抗弁の事情はないかなどを考えて、裁判を進めます。
もし、弁護士に裁判を依頼していて、弁護士から裁判の書類の確認を求められて内容がよくわからないというときには、一度、こういった要件事実の考え方に従って、どうして相手はこういう主張や証拠をだしてきているのかや、なぜ、こういう主張をこちらは返すことになるのかなど、確認していただくと、疑問点が解消されるのではないかと思います。