街中を歩いていると,金木犀の香りがする季節になりました。
名古屋ではまれですが,少し郊外に行くとそのような機会もあります。
私が以前住んでいた家の庭には,金木犀が植えられており,その甘い香りを感じると懐かしい気持ちにもなります。
今回は,印鑑の廃止について考えてみたいと思います。
世間では,「脱ハンコ」という言葉をよく聞かれるようになりました。
コロナの影響でリモートワークが進んでいるところ,わが国の印鑑の押印による書面作成の文化がこの促進を阻害しているというわけです。
かねてから,日本のIT化の遅れは指摘され続けており,この元凶としてハンコ文化がやり玉に挙げられてきました。
「脱ハンコ」は,今般,政府によっても取り上げられて注目を浴びていますが,稟議や決済手続きなど,日本流の意思決定手続きにまで批判が及んでいるようです。
弁護士業界では,決済手段として押印をすることはあまりないものの,書面に押印をする機会は非常に多いです。
裁判所に提出する書面,相手方に提出する書面など,自分の名義で作成したほぼすべての書面に職印で押印しています。
ただ,「この書面には押印は必要ないのではないか」と感じる書面もあり,見直すことはできそうです。
私は,関係者とメールで書面のやりとりをすることも多く,発信者の履歴さえ残るのであれば,作成した文書に押印は必ずしも必要ないように感じています。
他方,契約書などの一定の重要文書については,押印がまだまだ必要だと思われます。
民事訴訟では,本人の印鑑による押印がある場合には,本人の意思による押印,本人の意思による書面の作成が推定されるという扱いがされています。
印鑑による意思推定の脆弱性はかねてより批判されてきたところではありますが,現在でも,このように裁判実務上扱われていることは重要です。
他方,電子署名など,技術的に本人が作成したことを裏付ける技術も向上してきており,これらの日々進歩していく技術が,裁判実務上どのように扱われていくのかにも注目していく必要があります。
私自身は,職務上,自分の職印で押印することには,「その書面の内容に責任を持つ」という意味合いもあると感じていますし,私生活でも,重要な書類に実印で押印する際には,「本当にその書面に押印してよいのか」を自分に再確認して行うという意味もあると思っています。
みなさまの中にもハンコに愛着を感じてらっしゃる方も多いでしょうから,ハンコが日本社会から簡単に排除されるものではないように感じています。