相続放棄についての最高裁判例について(1)

こんにちは。
名古屋でもだいぶ暑さが和らいでくれた気がします。

今月,相続放棄についての最高裁判所の判例が出されました。
相続放棄については,弁護士としてご相談やご依頼を受けることが多い分野ですし,以前にもこのブログでとりあげたことのある再転相続の熟慮期間に関するものですので,今回のブログでとりあげたいと思います。

1.再転相続とは
再転相続とは,相続人となった者が熟慮期間中に相続の承認も放棄もしないまま死亡し,その相続人の地位をさらに相続した場合のことをいいます。
以前のブログと同じように,先に死亡した者を「被相続人」,後に死亡した者を「相続人」,それらを相続した者を「再転相続人」と呼ぶことにします。

2.最高裁判例の結論
今回の最高裁判所の判例(令和元年8月9日第二小法廷判決)の事案では,再転相続における熟慮期間の起算点が問題となりました。
最高裁判所は,結論として,再転相続人が,相続人からの相続により,相続人が承認又は放棄をしなかった相続における相続人としての地位を自己が承継した事実を知った時が,熟慮期間の起算点となると判断しました。
結論としては妥当なものですし,これまでの判例,裁判例の考え方にも沿うものだといえます。

3.原審の判断
実は,原審でも,当該事案での相続放棄の熟慮期間の起算点については,まったく同じ結論になっていました。
原審は,当該事案では民法916条を適用しないと判断したうえ,民法915条を適用したのに対し,最高裁は,そのような原審判断を違法としたうえ,民法916条を適用しています。
それでは,原審は,なぜ916条を適用しなかったのでしょうか。
原審は,民法916条の「その者の相続人が自己のために相続の開始があったことを知った時」の意義について,再転相続人が相続人の相続を知ったときと解しており,これは従来の通説と同じ考え方ではありました。
しかし,このように解すると,再転相続人の相続放棄をするかどうかの判断の機会を狭めてしまうことになってしまいます。
そのため,原審は,「相続人が,被相続人の相続人であること(正確には,相続の開始の原因事実および自己が法律上相続人となった事実)を知っていたが,相続の承認又は放棄をしないで死亡した場合」にのみ916条が適用されるとして,同条の適用範囲を限定しました。
そのうえで,本事案は上記の場合にはあたらないため,915条を適用したうえで,熟慮期間内になされた相続放棄の効力を認めたのです。

4.最高裁の判断
最高裁判所は,原審の判断に対し,「民法916条にいう「その者の相続人が自己のために相続の開始を知った時」とは,相続の承認又は放棄をしないで死亡した者の相続人が,当該死亡した者からの相続により,当該死亡した者が承認又は放棄をしなかった相続における相続人としての地位を,自己が承継した事実を知った時をいうと解すべき」としたうえで,ストレートに民法916条を適用しました。
すなわち,原審の判断の場合,限定的ではあるにしろ,915条をそのまま適用した場合と比べて,再転相続人の判断の機会が狭められてしまう可能性がありますが,最高裁判所はそのような場合すらも相続放棄をするかどうかの判断の機会を再転相続人に保障するとの立場を取ったということになります。

今回の判例の結論としての価値はこのようなものとはなりますが,理論的な面から考えていくといろいろな分析も可能なところです。
続きについては,次回とりあげたいと思います。

なお,事務所の集合写真が更新されました。

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「寄与分」と「特別寄与料」について

前回のブログでは,相続法の改正で新たに導入された「特別寄与料」の制度について簡単に説明しました。
私が名古屋で弁護士をしていて,お客様からのご相談でもこの制度について触れられることが多いので,今回も取り上げてみたいと思います。

今回は,これまでも遺産分割の制度として認められてきた「寄与分」と,新たに導入された「特別寄与料」の違いという視点から,説明してみたいと思います。
(以下では,「寄与分」の制度を「前者」,「特別寄与料」の制度を「後者」と呼ぶことにします)

両者の違いは,なんといっても,前者が被相続人の財産形成に寄与してきた共同相続人にのみ認められてきた権利であるのに対し,後者が共同相続人以外の親族にも認められた権利であるということです。
たとえば,亡くなった方の息子の奥さんが,介護等で生前の面倒を看てきたというケースは多く見られますが,その奥さんは共同相続人ではないため,前者の制度では考慮することができませんでした。
しかし,後者の制度では,奥さんは親族にあたるため,その貢献に応じた権利が認められるということになります。

両者の条文の違いも見てみましょう。
前者では,「共同相続人の中に,被相続人の事業に関する労務の提供又は財産上の給付,被相続人の療養看護その他の方法により被相続人の財産の維持又は増加について特別の寄与をした者」と規定されています(民法904条の2第1項)。
後者では,「被相続人に対して無償で療養看護その他の労務の提供をしたことにより被相続人の財産の維持又は増加について特別の寄与をした被相続人の親族」と規定されています(民法1050条)。
両者の条文を比べてみると,後者では「被相続人の事業に関する労務の提供又は財産上の給付」は含まれていないことがわかります。
そこで,これまで寄与分の類型のうち,「療養看護型」が後者でも認められることは分かりますが,その他の類型はどうなのかを検討してみましょう。

「家業従事型」については,たしかに「被相続人の事業に関する労務の提供」が後者では文言上は含まれてはいませんが,後者の制度が,被相続人の親族が無償でこのような労務の提供をした場合についてまで排除する趣旨とは読み取れませんので,「その他の労務の提供」として認めることができるでしょう。
「財産管理型」の場合についても,それが被相続人に対する「労務の提供」として認められる限りは,後者においてもその対象となると考えることができそうです。

それでは,「財産出資型」では,どうでしょうか。
後者では,あくまで「労務の提供」が対象となっているため,財産出資型の寄与については認められないと考えることができるでしょう。
もちろん,事務管理や不当利得返還請求権などの法律構成によって権利が認められる場合については,請求することもできるでしょう。

このように「特別寄与料」の制度は,「寄与分」の制度と似てはいますが,このほかにも細かな点も含めて多くの違いがあります。
また,その請求の方法についてみても,むしろ遺留分侵害額請求権に近いと感じることもあります。

これらについても,触れられる機会がありましたらブログで取り上げていきたいと思います。

相続法の改正について

令和元年7月1日という日は,私のような名古屋で相続案件を多く扱っている弁護士にとって,特別なものです。
というのも,この日は,平成30年7月6日に成立した相続法の改正のうちの多くの規定の施行日なのです。

これまでも法改正の内容について十分に研究をしてきたつもりでいますが,その細部までしっかりと理解して,お客様に最善のアドバイスをしなければなりません。
また,しばらくは法改正の適用前と後の案件が混在するため,この点にも注意をしなければならないと考えています。

法改正に実務がどのように対応していくのかについても,しっかり注視していく必要があります。
たとえば,預貯金の仮払い制度の新設については,各金融機関でもこれをどのように取り扱うのか,これからの各金融機関の動きについても調査しておかなければなりません。

相続法の大きな改正が約40年ぶりとあって,ある程度メディアでも取り上げられていますが,みなさまにはその内容についても正確に理解をしておいていただきたいと思います。
相続法の改正前から,お客様から改正内容についてご相談を受けることがありましたので,今回は少しだけ法改正の内容に触れたいと思います。

相続法の改正によって,相続人以外の者の貢献が相続において考慮されることになりました。
この権利は,貢献をした者から相続人に対して請求できるものであり,このようにして請求できる金銭を特別寄与料といいます。

ただ,この権利を請求するにあたっては,何点か注意が必要です。

ひとつは,この権利を請求できるのが被相続人の親族に限られるということです。
親族ではない者について,この権利が認められるわけではありません。

また,特別寄与料の支払いを請求するうえで,当事者間で協議ができなかった場合には,家庭裁判所に協議に代わる処分を請求しなければなりませんが,これには期間制限があり,特別寄与者が相続の開始及び相続人を知ったときから6か月以内か,相続開始から1年以内に請求をする必要があります。

法文上は,「被相続人に対して無償で療養看護その他の労務の提供をしたことにより被相続人の財産の維持又は増加について特別の寄与をした」場合に,特別寄与料の請求ができることとなっています。
従来の相続人の寄与分が認められるためのハードルは高かったわけですが,今後,この権利がどの程度裁判所から認められるのかについても研究していく必要があります。

 最後に,今回の相続法の改正のすべての規定が7月1日に施行されるわけではありません。
 私自身が最も注目している配偶者居住権については,来年4月1日が施行日となっていますので,ご注意ください。

ホームロイヤー契約について

令和となってから,初の投稿です。
すでに1ケ月近くが経ちますが,私の中では令和という言葉がすでに馴染んできたように感じています。

令和の時代が良い時代になって欲しいという思いはありますが,社会の抱える問題というのはどの時代においても無くなることはないのだろうと思います。
弁護士という仕事は,社会問題に常に直面しながら,問題の解決にあたるものであると感じます。

今回は,令和の時代でも最も問題になるのではないかと考られる高齢者についての問題を取り上げたいと思います。

高齢者についての問題は,医療や介護の分野でも重要性を増していますが,法律の分野でもそれに対する対策・対応が進んでいます。

そのひとつとして,ホームロイヤー契約という契約が注目されています。

ホームロイヤー契約とは,明確な定義があるわけではないのですが,高齢者の見守りやその財産管理等について,法律の専門家である弁護士が,継続的かつ総合的に高齢者の日常生活を支援するために締結される契約の総称です。
医療の世界でかかりつけの医師が「ホームドクター」と呼ばれているように,「ホームロイヤー」という言葉には,個人の相談に対応するかかりつけの弁護士という意味が込められているとされています。

高齢者が自らの財産管理をする能力に不安を抱えていたり,その能力が現実に低下したりしてしまった場合に,法律家がその財産管理に携わることには,さまざまな意義があります。
もちろん,「本人の財産を守る」という意義があることは間違いがありません。
成人後,親と同居をしない家庭が多くなり,もはや核家族化という言葉も古めかしくなってきましたが,そもそも高齢者の財産の管理を任せられる家族がいないという方もいらっしゃいます。
また,たとえ財産管理をする能力と意思がある家族が見つかったとしても,その家族が使い込みをしてしまうおそれや,他の家族から使い込みを疑われることもあります。
財産管理をしていた家族による使い込みがあった場合,法的には,相続の際に他の相続人が取り戻す手段もありますが,使い込みについての十分な証拠を集めることは困難なケースが多いです。
他方で,財産管理をしていた家族による使い込みがなかった場合にも,他の家族から使い込みを疑われた場合,きちんと帳簿を作成し,領収書を保管するなどしておかないと,「使い込みがなかったこと」を証明するのも困難な面があります。
そこで,専門家である弁護士が本人の財産管理に携わり,家族による使い込みの機会をそもそも作らないこと,財産管理が適正に行われていることについてもしっかり証拠を残すことで,後日のこのような紛争を未然に防ぐことができるという意義があるのです。

実際に紛争になってしまった場合は,当事者には経済面でのコストだけでなく,精神面でも多大な負担がかかってしまいます。
普段からこのような紛争に関わることの多い弁護士としては,これを未然に防ぎたいと常日頃から思っています。

医療の世界でも「予防医学」の重要性が謳われて久しいですが,私も法律の世界での「予防法学」において社会に貢献していきたいと感じています。

令和と書面の作成年月日

平成も残りわずかとなり,令和という新しい時代も目前に迫ってきました。
元号が新しくなるという経験は自分の人生では2回目ですが,前回の改元の記憶はあまりありませんので,新しい時代をどのように迎えることになるのか楽しみではあります。
裁判所では現在でも事件番号等に元号が用いられていますから,私たちの弁護士業務でも元号を使うことが多く,前向きな気持ちになれるような元号が選ばれてよかったと思っています。

今回は,このことに関連して,以前に自筆証書遺言について記載したことを補足したいと思います。

以前の記事で,相続法の改正にともなって,自筆証書遺言の方式が緩和されるという話を取り上げました。
すなわち,これまで遺言書を自筆で作成する場合には,そのすべてについて自書する必要があったのですが,財産部分について目録を添付する形で作成することも認められるようになりました。
ただし,施行日以前に作成された遺言書において,この方式が用いられていても無効ですので,後日の争いを避けるためには,施行日以後に作成されたことの証拠もしっかりと残しておくことが必要だということを,以前のブログで指摘しました。

この点について補足しますと,自筆証書遺言には作成年月日の記載が要件となっているところ,この作成年月日に新しい年号である令和を記載しておけば,少なくともそれ以降に作成されたことが確実であるといえるため,上記についての対策は十分だといえるでしょう。
なお,作成年月日には,必ずしも和暦を用いる必要はなく,西暦を用いることもできます。
私が遺言書の作成に携わる際にはすべて和暦で作成していますが,これも新しい年号を選ぶルールである「これまでに使用されたことのないもの」という条件が無ければ使用することに抵抗があり,今回の令和もこの条件を満たしています。

作成日に新しい年号が使用されていれば,同じようなことが契約書等のほかの書面にも言えるかと思われます。
書面の証拠の作成年月日が裁判等で争われることは少なくないのですが,新しい年号が用いられていれば,新しい年号発表以後に作成されたことが確実であるとはいえるでしょう。
逆に,たとえば書面に「平成35年」などと記載されており,新しい年号を使うことができたにも関わらず,合理的な理由もないのに使われていなかった場合には,新しい年号の発表以前に作成されたものである可能性が高いとはいえるでしょう。

新しい年号の発表では,政府の情報管理も徹底されていました。
元号が新しくなった場合,みなさまの中でもいろいろな対応をしなければならなかったり,社会ではビジネスにつなげようとしたりする動きがあると思われますし,その動きはすでにかなり進んでいるようです。

改元は時代の節目ではあるため,気持ちよく新たな時代を迎えられればと思っています。

遺言の自由と制限について

弁護士の江口潤です。

 

先日,名古屋市の鶴舞公園に行ってまいりましたが,桜の開花もかなり進んできました。

なかなか心行くまで花見酒とはいかない身としては,心の置けない方たちとともに愉しまれている方々が羨ましく見えます。

 

今回は,遺言について,ちょっと変わった視点から見てみようと思います。

つまり,日本以外ではどのような遺言の制度となっているのかについて紹介し,日本の遺言や,それにまつわる相続制度の特徴を考えてみたいと思います。

 

遺言者は,自分の死後に自分の財産をどのように処分したいかを遺言をすることで決めます。

自分の財産なのですから自分の好きなようにできるはずではあるのですが,法律上はそうではなく,遺留分という制限が存在します。

 

遺留分は,配偶者や子,親などの相続人に認められている「権利」であるとされており,遺言者の側から見ると,遺言による財産処分の権利が制限されているということになります。

なぜこのような遺留分が認められているかについては,相続人の相続に対する期待を保護するためであるとか,相続人が経済的に困窮することを防ぐためであるなどと説明されています。

 

法学の世界で大陸法系と言われる国は遺言の自由を制限する傾向にあり,日本は大陸法系の国に属していますので,遺言の自由が比較的制限されています。

遺言の自由を広く認めているといわれる英米法系の国では,子らには遺留分が認められていないことがほとんどです。

ただ,英米法系の国であっても,配偶者や扶養を必要としている子に対しては一定の財産的な権利が確保されています。

 

実は,相続人が相続において財産の確保するための法制度上の手段は,遺留分だけではありません。

日本は,婚姻後も夫婦それぞれが財産を形成する「夫婦別産制」を採っていますが,「夫婦共有制」といって,婚姻後取得した財産についてはそれぞれの名義のものであっても均等の持分を持つものとしている国では,夫婦の一方が死亡した場合,夫婦の共有財産の半分は配偶者が取得することになります。

そのため,夫婦共有制の国では,初めから夫婦の財産の半分は配偶者が確保しており,遺言者は残った半分についてだけ,遺言で自由に処分することができるということになります。

 

相続法の改正作業においても,遺留分の制度についてはさまざまな議論がされました。

ただ,この制度が残されたことにはそれなりの意味があるわけですし,私たちは,この制度があることを前提にして,自分が望むことに最も近い結果を実現できるように対応していかなければならないでしょう。

 

そのうえで,法律家として,ご依頼者様がこのような結果を実現することの手助けができるよう,研鑽を積んでいきたいと思います。

 

成年後見制度について

弁護士の江口潤です。

 

寒さもだいぶ和らいできました。

この冬は,前年に比べるとあまり寒くなかった印象がありましたが,やはり全国的に暖冬傾向だったようですね。

 

私の住む名古屋でも,降雪はほとんどありませんでしたし,過ごしやすかった気がします。

 

 

さて,私が,先日,成年後見事務に関する研修を受けてきましたので,今回は成年後見に関して取り上げたいと思います。

 

私は,普段から相続に関する案件を取り扱うことが多く,成年後見制度を利用することも多いです。

たとえば,遺言書を作成したいというお客様から任意後見制度のご利用をアドバイスしたり,遺産分割協議をする中で相続人の一人に成年後見人を就ける必要があったりということで,成年後見制度に携わっています。

 

成年後見人とは,認知症や精神疾患などにより十分な判断ができなくなった方にかわって,本人の財産を管理し,その身上を監護する者をいいます。

このようにサポートを必要とする人のために成年後見人をつけるには,家庭裁判所に成年後見開始の審判を申し立てる必要があります。

裁判所の資料によると,後見開始の審判の申立件数は,平成28年で2万6836件であったのが,平成29年では2万7798件となり,約3.6パーセント増加しているようです。

日本は高齢化社会ですから,今後も後見開始の審判の申立ては,この程度の件数が維持されるものと見込まれます。

 

裁判所から選任される成年後見人には,本人の親族がなるケースと弁護士等の専門家が選任されるケースとがあります。

成年後見の申立時に,親族を成年後見人の候補者としていても,財産が多かったり,遺産分割の必要があったり,親族が財産管理に適していなかったりした場合には,裁判所の判断で専門家が成年後見人に選任されることになります。

 

しばしば問題となるのは,親族に対する支出が許されるかということです。

成年後見人は,あくまで本人のために本人の財産の管理義務を負っていますから,親族に対する贈与や貸付は,財産の減少行為にあたるため,原則として認められません。

ただし,配偶者や未成熟子に対して,必要な扶養の範囲内での扶養義務の履行としてであれば許される余地がありますが,これも厳格に考えられる傾向にあります。

 

また,相続税対策のために,土地の上に居住用や収益目的での建物を建てることも問題となります。

まず,相続税対策というのであれば,本人のためではなく相続人のためということになりますので,成年後見人は行うことはできません。

居住用の建物建設といった場合にも,その真の目的は相続税対策ではないというためには,居住のために真に必要であったといえなければならないでしょう。

収益目的の建物建設の場合には,本人のために真に必要があるといえるのかどうかが,より厳格に考えられることになります。

 

このように,成年後見の事務には難しい問題も多く,専門家以外を候補者として考えておられる場合には,しっかりと対策をしておかれる必要がありますので,ご注意ください。

 

 

自筆証書遺言の方式の緩和

平成も最後の年を迎えました。

 

弁護士の江口潤です。

 

私たち弁護士は,裁判所の文書が和暦を用いていることもあって,普段の業務でも西暦ではなく和暦を用いることが多いのです。

それだけに,あらたな年号が何になるかについては,個人的な関心が強いです。

 

明治の「M」,大正の「T」,昭和の「S」,平成の「H」の頭文字以外から選ばれるのではないかなど,さまざまな推測もできますが,あらたな時代を前向きに迎えられるような年号になってほしいと思います。

 

 

さて,前回に引き続き,今回の記事でも遺言について扱いたいと思います。

 

今回扱いたいのは,自筆証書遺言の方式の緩和についてです。

 

これまでの法律では,遺言者は自筆証書遺言の全部を自筆で作成しなければなりませんでした。

このような厳格な方式が要求されるのは,「遺言者の意思を確実に担保するため」であると説明されてきました。

ですが,日本が高齢化社会を迎えた今,高齢者がいざ遺言書を作成しようと思ったときに,全文を自筆で書くということが困難な場合が少なくありません。

ですから,全文の自筆という厳格な要件を求めることは,簡便に作成することができるという自筆証書遺言のメリットまで奪う,過剰な規制であるといえるでしょう。

 

そのような問題意識から,民法の改正により,自筆証書遺言の方式が一部緩和され,平成31年1月13日から施行されることになりました。

 

法改正によって,自筆証書遺言の内容のうち相続財産の全部または一部について,目録を添付することができ,この部分については自書を要しないこととなりました(民法968条第2項)

ただ,法改正後も,原則としては,遺言者がその全文,日付,氏名を自書する必要がありますので,ご注意ください(同条第1項)。

この改正によって,目録をパソコン等で作成したり,銀行の通帳のコピー,不動産の登記事項証明書等を目録として添付したりすることも許されるようになりました。

遺言者が不動産や金融資産を多数所有しても,簡便に自筆証書遺言を作成することができるようになったといえるでしょう。

 

さらに注意が必要なのは,この改正は今月13日から施行されるものであり,この日より前に作成された遺言書については改正法の適用がないということです。

つまり,自筆証書遺言が,この日以降に作成されたということが明確でなければなりません。

 

「自筆証書には日付の記載があるから,問題ないではないか」と思われるかもしれませんが,弁護士的な視点からは,これで十分とは思われません。

なぜなら,遺言書の効力を争う側から,「その日以前に作成されたのではないか」ということを主張してくるおそれがあるからです。

このような争いとなることは稀だとは思われますが,このような主張にも予め対処しておいた方がよいでしょう。

 

対処の方法としては,遺言書作成の日を証拠にしておくために,遺言書の作成過程を録画しておき,その際に,その日の朝刊が映るようにしておくということが考えられます。

これによって,その朝刊が発行された日以後に作成されたことが明らかになりますから,改正法施行日以降に作成されたという証拠ができ,上記のような主張を斥けることができます。

 

自筆証書遺言の作成については,より簡便に作成できるようになったとはいえ,目録の添付方法や,訂正の方法など難しいところも多く残っています。

法的に効力が認められ,遺言者の意思を着実に実現できる遺言書を作成するためには,専門家からのアドバイスを受けられた方がよろしいかと思われます。

 

公正証書遺言の作成

年の瀬も押し迫ってきましたね。

12月は,今年1年を振り返る良い機会だと思いますし,私も今年1年でできたことと,残念ながら不足したところを見直し,また来年も頑張っていきたいと思います。

 

弁護士の江口潤です。

 

今,遺言を書くことが一つのブームとなっています。

私も,普段から相続案件を取り扱う中で,「遺言さえあれば,こんなにもめなかったのになあ」と考える事例を担当することがあります。

遺言書を作成したいというご依頼をいただくことも多いですし,その際には,個々の遺言者の具体的なニーズに合わせ,できる限り紛争となりにくいように配慮した遺言書を作成するお手伝いをさせていただいています。

 

今回は,遺言書にまつわる問題を取り扱いたいと思います。

 

遺言書は,遺言の意思能力の問題はあるにせよ,誰でも気軽に作成しようと思えば作成できるものです。

主には自分の財産を,自分の死後にどのように処分しようかという問題ですから,本来,万人にとっての関心事であろうかと思います。

ただ,遺言は,法律の定める方式によってしかすることができないということが,民法960条に明示されています。

現在の法律では,意思表示の方法は,口頭とか書面とか,押印が必要などと限定されていないのが原則とされていますが,遺言については,法律がその方式を厳格に定めているのです。

日本法以外の法律でもそのような規律になっており,これは遺言書の真意が死後には明らかにならないことから,それを関係者によって歪めようとさせないために厳格な方式が要求されているとも説明されています。

 

遺言に方式が厳格に定められている意味を深く考察すると興味深いとは思いますが,今回はもっと実際的な公正証書遺言の方式について紹介します。

 

公正証書遺言とは,公証役場において,公証人という公務員の面前で,遺言者が遺言の内容を口授して作成する遺言書をいいます。

公証人という法律実務家が関わって作成されるものですし,法律上の要件を満たすことについて安心できますから,現在では広く利用されています。

 

公正証書遺言では,公証人が,遺言者から聞いていた遺言の内容をもとに,予め遺言書の案文を作成したうえ,遺言者からの面前の口授によって作成するのが通例です。

このように口授と公証人による筆記とは,民法969条の定める方式と順序が入れ替わっていますが,このような方法によることも裁判所に認められています。

ただし,公証人の質問に対して遺言者が単にうなずいただけとか,手を握り返しただけでは口授としては足りないとされています。

 

このように,公正証書の口授の要件については,裁判所は,一方で,遺言者の意思を実現させるために緩和した方法によることも認めてはいますが,他方で,遺言者の真意の確保という観点から,一定の限界を設けているといえます。

公正証書遺言作成の手続きについてはこちらもご覧ください。

遺留分についての最新判例

今年も暑かった夏が終わって秋になりましたが,近ごろの朝晩は冷え込むようになりましたね。
弁護士の江口潤です。

 

今回は,遺留分に関する最高裁判所の判例(平成30年10月19日第2小法廷判決)が出ましたので,ご紹介したいと思います。

このケースで問題となったのは,被相続人が,生前,共同相続人の一人に対して相続分を無償で譲渡としていた場合に,この譲渡が遺留分算定の基礎となる財産額に算入すべき「贈与」(民法1044条,903条1項)にあたるかどうかということです。

遺留分について,簡単に説明します。
亡くなった方が,遺言書を書いていたり,他の相続人などに生前贈与をしたりしていた場合,相続する分が減ってしまった相続人には,遺産の一定割合について,たくさんもらっている人から取り戻すことができることがあります。
この取り戻すことのできる部分のことを遺留分といいます。
遺留分について詳しくはこちらもご覧ください。

今回のケースでは,亡くなった方は,生前,夫の相続において,子どもの一人に対して自らの相続分を譲渡しました。
相続分とは,相続における積極財産と消極財産とを包括した遺産全体に対する割合的な持ち分のことをいい,これは他の人に譲渡することができます。
この譲渡が,亡くなった方の相続において,遺留分がどの程度侵害されたかの算定の基礎となる財産額に入れる「贈与」にあたるかどうかが争われたのです。

この点について,原審の東京高等裁判所は,この譲渡は「贈与」にはあたらないと判断しました。
その理由としては,相続分の譲渡は遺産分割が終了するまでの暫定的なものであって,遺産分割が確定した時点で相続開始時に遡って直接相続したことになることや,相続分の譲渡が必ずしも経済的利益をもたらすものとはいえないということでした。

しかしながら,前者の理由については,遺産分割の効果についての民法の規定という形式的なものに過ぎませんし,後者の理由については,相続分の譲渡に財産的な価値があることが判明した場合には,これを理由とするのは妥当とはいえません。

最高裁判所は,「共同相続人間においてされた無償による相続分の譲渡は,譲渡に係る相続分に含まれる積極財産及び消極財産の価額等を考慮して算定した当該相続分に財産的価値があるとはいえない場合を除き,上記譲渡をした者の相続において,民法903条1項に規定する「贈与」に当たる」と判断しました。

最高裁判所の判断は妥当なものだとは思いますが,実務的には様々な問題も残っているように感じます。
一つには,相続分の譲渡の財産的な評価額をどのように算定するかということです。
相続分の対象となった不動産の財産的な額をどのように評価するか等については,通常の遺留分減殺請求でも問題となるところですので,特に新たな問題が生じるとは考えられないと思われます。
ただ,遺産分割においては,それぞれの相続人には法定相続分があるものの,協議の結果,それどおりに分割がされない場合もあります。
理屈で言えば,譲渡された相続分の客観的な評価額が算定の基準となるのでしょうが,実際に遺産分割協議によって相続した分も考慮されることにもなりそうです。
他にも,有償であるが客観的な評価額よりも低廉な額で譲渡した場合,共同相続人以外に譲渡した場合,遺産分割協議において実質的に譲渡したのと同じ内容の合意がなされた場合等,この判例の射程がどこまで及ぶのかについて検討する必要があるように思います。

不動産の所有権の放棄について

こんにちは。

今月には毎週末のように台風が来ていましたが,みなさまは大丈夫でしたでしょうか。

 

弁護士の江口潤です。

 

今回は,不動産の所有権を放棄することができるかという問題を取り扱いたいと思います。

1 動産の放棄について
まず,動産の放棄については,民法に明確な規定はありませんが,放棄することができると考えられています。
民法の規定の中には,無主物については,先に占有を取得した者が所有権を取得する(民法239条1項)との規定があり,所有者のない動産というものが想定されていることから,所有権を放棄された動産もこの中に含まれていると考えることもできるからです。
ただし,どのような場合でも動産の所有権が放棄できるのではなく,これを取り締まる行政法規に違反する場合がありますので,ご注意ください。

2 不動産の放棄について
不動産についても,民法には所有者のない場合には国庫に帰属するという規定があります(民法239条2項)。
そこで,理論的にも,不動産についても所有権を放棄できるのではないかと考えられているようです。
『ストーリーに学ぶ所有者不明土地の論点』(山野目章夫著)78頁によると,不動産の所有権の放棄ができるかについては,「なんとなく認められてよいものではないか,というあたりが,学会の雰囲気であろうか」という状態にあるようです。

3 裁判例での判断
ただし,現実には,不動産の所有権の放棄が簡単にできるわけではありません。
この点についての最高裁判所の判例は現在のところなく,上記の書籍79頁で紹介されている裁判例(広島高裁松江支部判決平成28年12月21日)では,「不動産について所有権の放棄が一般論として認められる」としながらも,所有権の放棄の主張は権利濫用または公序良俗違反にあたることから無効であると判断されています。

4 管理の難しくなった不動産の問題について
私は,普段から相続の案件を取り扱うことが多いのですが,相続財産が遠方であったり,辺鄙な場所にあったりしたために,相続人が管理することが難しいという事例を担当することもあります。
この場合には,遺産分割協議においても,互いに当該遺産を押し付けあうような形になることもあり,上記のとおり,不動産の所有権を放棄することは難しいという現状では,合意内容をまとめることが困難なときがあります。
使われていない不動産の積極的な活用方法や空き家の問題については,国や自治体の方でも議論がされています。
平成30年11月1日(木)にも,中区役所ホールで,「空き家シンポジウム~弁護士と考える空き家問題~」というシンポジウムが開催され,愛知県弁護士会所属の弁護士も参加しますので,ご興味のある方はご参加いただければと思います。

再転相続の場合の相続放棄の熟慮期間の起算点について(2)

こんにちは。

弁護士の江口潤です。

 

今回は,前回に引き続き,いわゆる再転相続における相続放棄の熟慮期間の起算点についての問題を取り扱いたいと思います。

 

5.民法916条の期間延長以上の意味

 

前回の最後で取り上げたとおり,昭和63年最高裁判決は,民法916条について,再転相続人について第1相続と第2相続のそれぞれにつき,各別に熟慮し,承認または放棄をする機会を保障する趣旨も包むとしています。

 

この点について,民法917条では,相続人が未成年者または成年被後見人であるときについて規定されていますが,これは916条と同じく,相続人が十分な熟慮をすることができない(できなかった)ことが,民法915条の例外とする前提となっているとも考えられます。

 

上記昭和63年最高裁判決の判示は,民法916条について,917条とは異なる観点からの意義を認めるものといえます。

 

6.民法916条の「自己のために相続の開始があったことを知った時」の意義

 

では,民法916条の「自己のために相続の開始があったことを知った時」の意義とは,具体的にどのようなものを指すのでしょうか。

 

この点については,「自己のために相続の開始があったことを知った時」とは,再転相続人が自己のために「相続人の」相続の開始があったことを知った時であるという見解と,再転相続人が自己のために「被相続人の」相続の開始があったことを知った時であるという見解がありえます。

 

前者の見解によれば,再転相続において,被相続人と相続人の相続についての熟慮期間の進行が一律に扱われることとなるので,これを「一律進行説」,他方,後者の見解によれば,それぞれの熟慮期間の進行は別途進行することとなるので,これを「別途進行説」と呼ぶことにします。

 

まず,民法916条の「自己のために相続の開始があったことを知った時」とは,915条1項と同様に,相続開始の原因事実だけでなく,自己が法律上相続人となったことを知った事実をも知る必要があることについては問題がなさそうです。

 

ここで「別途進行説」のように解すると,再転相続人が,第1相続について熟慮期間の開始のために認識すべき内容は,第2相続について認識すべき内容を包含するはずですから,第1相続の熟慮期間が第2相続の熟慮期間よりも先に到来することはないはずであり,第1相続についての熟慮期間の伸長を趣旨としていた916条の意義は何なのかが問題になります。

 

おそらく,かつての判例は,「自己のために相続の開始があったことを知った時」を相続開始の原因事実のみの認識で足りるとしていたことから,916条に期間伸長の意義があるとされていたのだとも考えられます。

 

このように考えると,「別途進行説」では,再転相続の熟慮期間の起算点としては,915条1項のみで足りるはずであり,少なくとも916条には期間の伸長の意味がないことになってしまいます。

 

他方,「一律進行説」に立つとすると,再転相続人が「相続人の」相続の開始があったことを知りさえすればよいわけですから,916条を適用した場合,むしろ915条1項の場合よりも熟慮期間が短くなる可能性があることになります。

 

もちろん,このように解してもよいという見解もあるわけですが,再転相続の場合も含めて,相続放棄を広く認めようとしてきた判例や学説の潮流とは逆行することになります。

 

このように考えると,「別途進行説」を採ることが妥当だとは考えられるものの,民法916条の意義などについてはどのように考えるのかの問題は残ることになります。

 

 

再転相続については,非常に難しい問題が多く,親戚との関係がかつてほどは親密ではないという現代的な問題もありますので,私としても引き続き考えていきたいと思います。

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再転相続の場合の相続放棄の熟慮期間の起算点について(1)

こんにちは。

弁護士の江口潤です。

 

今回と次回は,いわゆる再転相続における相続放棄の熟慮期間の起算点についての問題を取り扱いたいと思います。

 

1.再転相続とは

 

再転相続とは,相続人となった者が熟慮期間中に相続の承認も放棄もしないまま死亡し,その相続人の地位をさらに相続した場合のことをいいます。

 

先に死亡した者を「被相続人」,後に死亡した者を「相続人」,それらを相続した者を「再転相続人」と以下では呼ぶことにします。

 

2.民法916条

 

再転相続の相続放棄の起算点に関しては,民法916条で「相続人が相続の承認又は放棄をしないで死亡したときは,前条第一項の期間は,その者の相続人が自己のために相続の開始があったことを知った時から起算する」と規定しています。

 

この条文の趣旨については,第1相続の放棄についての熟慮期間を被相続人の死亡時点からとしてしまうと,熟慮期間が非常に短くなって,再転相続人が十分な調査や熟慮ができなくなってしまうので,第1相続と第2相続の両方の熟慮期間の起算点を再転相続人が自己のために相続の開始があったことを知った時に伸ばしたと考えられています。

 

3.判例と学説

 

上記の条文の趣旨からすると,第1相続と第2相続の両方の熟慮期間は,自己のために相続の開始があったことを知った時から同時に進行すると考えるのが自然であり,従来の学説もこのように考えてきたようです。

 

この考え方のもとでも,再転相続人が,第2相続を放棄することなく,第1相続を放棄することも認められるとされてきました。

 

これは,再転相続人が,第1相続を放棄する相続人の権利を承継したとすることで,従来の学説からも理論的に説明することができ,矛盾するものではなかったからです。

 

しかし,昭和63年の最高裁判決(最判昭和63年6月23日家裁月報41巻9号101頁)では,第1相続について先に相続放棄をした後,第2相続を放棄しても,第1相続の放棄の効力は遡って無効にはならないと判断されました。

 

上記の判示部分に対しては,再転相続人が,相続人が有していた被相続人の相続を放棄するかどうかの選択権を承継したとする従来の学説から説明することは困難にも思えます。

 

他方で,上記昭和63年最高裁判決は,再転相続人が先に第2相続を放棄した場合には,第1相続につき承認または放棄をすることはできないとも判断しています。

 

この判示部分については,従来の学説と整合することは確かですが,最高裁が,再転相続人の第1相続についての選択権を,第2相続の選択権とはかかわりのない,別個の固有権とは考えていないといえます。

 

判例の立場についての一つの説明として,前者の判示部分については,第1相続についての選択権を承継した再転相続人が第1相続を放棄したうえで,第2相続についてどのような選択をするかは時点な問題であるにすぎない一方,後者の判示部分については,第2相続を放棄しておきながら第1相続の選択権を承継するというのは論理的に矛盾するから認められないと考えることもできそうです。

 

この判例に対しては,さまざまな考え方がありうるところです。

 

なお,上記昭和63年最高裁判決では,民法916条について,2で述べたような期間の伸長を認めるだけではなく,再転相続人について第1相続と第2相続のそれぞれにつき,各別に熟慮し,承認または放棄をする機会を保障する趣旨をも有するものであるとの位置づけをしています。

 

続きについては,次回に取り上げます。

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中高生模擬裁判(サマースクール)の報告

こんにちは。

暑い日が続きますが,みなさまは体調を崩されたりはされていらっしゃらないでしょうか。
弁護士の江口潤です。

 

今回は,前回に引き続き,愛知県弁護士会が主催しているサマースクールについて書きたいと思います。

愛知県弁護士会では,法教育の一環として,毎年,小学生や中高生を対象にサマースクールを実施しています。

サマースクールでは,憲法の精神を学ぶことができる小学生向けの劇や弁護士とディベートができる企画などがあります。

この企画には,毎年,多くの方に参加いただいており,平成30年の延べ参加者数は,平成29年よりも85名も増えるなど。参加者数も年々増加しているそうです。

私は,平成30年8月3日(金)に中高生向けの模擬裁判に参加し,弁護人役を務めましたが,これにも90名近い学生に参加いただきました。

今年の中高生向け模擬裁判は,とあるアニメ映画を題材にした刑事事件で,被害者が亡くなってしまった強盗致死事件の犯人性が問題になりました。

犯人役,目撃者役,アリバイ証人の恋人役も,すべて愛知県弁護士会に所属する弁護士が務めましたし,出演者とシナリオ作成者は,忙しい職務の合間に稽古も積んできました。

私自身には,演劇の経験はほとんどありませんが,学生さんに途中で飽きられないように,必死に演技をさせていただきました。

私の役は,普段から弁護士が行っている弁護人でしたので,ある程度,現実を反映した(?)演技ではなかったかと思います。

とはいえ,証人尋問や異議などでは,全般的に芝居がかったところはありましたが…。

演劇後の評議では,学生10名ほどのグループで,演劇に参加した弁護士らがまとめ役となって,事件についてどう考えたかという評議を行いました。

参加した学生の方には,同じ事件を見ているのにそれぞれで結論や考え方が異なるということが分かったことや,そう考えた理由を自分なりに説明したり,他の参加者の考え方を聴く機会を持てたりしたことが,よい経験になったようです。

評議ではさまざまな議論がとびだし,1時間以上とっていた時間は,参加者にとってあっという間だったようです。

今年の事件もそうですが,模擬裁判の題材では,シナリオ作成者は,有罪か無罪かなどについて「正解」というものを想定していません。

実際の社会でもそれぞれの立場にある者が,それぞれの考え方にしたがって行動するのですから,明確な「正解」というのは存在しないのが通常でしょう。

普段の学校の授業では,「正解」があるのが当たり前でしょうから,学生さんの中にはきっともやもやしたものが残ったでしょうが,そういう経験をしてもらうことこそ主催者側の意図していたことだといえます。

私自身,参加者のアンケートをひやひやした気持ちで確認しましたが,とても好評でしたので,正直,ほっとしました。

また参加させていただく機会がありましたら,「もっといい劇にしてやろう」と意気込んではいます。

中高生向け模擬裁判(サマースクール)について

こんにちは。
弁護士の江口潤です。

今回は,愛知県弁護士会が主催しているサマースクールについて書きたいと思います。

愛知県弁護士会では,法教育の一環として,毎年,小学生や中高生を対象にサマースクールを実施しています。

私が参加する予定の中高生向けの模擬裁判は,平成30年8月3日(金)に開かれる予定で,6月28日時点では,ありがたいことにその応募枠も残りわずかとなっているようです。

今年扱うのは,とある映画を題材にした刑事事件です(詳しい内容はネタバレになってしまうので言えませんが…)。

現実の刑事事件では,犯罪の被害に遭った被害者が存在し,判決の結果は被告人の人生を大きく左右するものであることから,法廷には深刻な雰囲気しかありませんが,模擬裁判では,中高生の方に刑事裁判に興味を持っていただくことが目的の一つなので,ユーモアを交えたシナリオ展開となっています。

私個人は,弁護人役として目撃証人に対する反対尋問,公判廷での審理を踏まえて弁護人の意見を述べる最終弁論を担当させていただきます。

演劇とはいえ,こちらもある程度真剣にやらなければ,実際の刑事裁判のリアルさが観ている方に伝わらないと思いますし,実際の事件の弁護人となったつもりで頑張りたいと思います(そして,目下,他の弁護士の先生方と稽古中でもあります)。

裁判員制度が導入されている現在,市民一人ひとりに裁判員に選ばれる可能性があり,選ばれた場合には,刑事裁判に参加したうえ,一人の人間に対する刑罰を決める,という大変重い責務を担うことになります。

法廷に出された証拠から本当に被告人は有罪だといえるのかどうか,中高生の参加者のみなさんには,様々な観点から検討を加え,他の参加者の方と議論をしたうえで,自分なりの結論を考えていただきたいと思います。

私自身も,みなさんのことをできる限り悩ませるとともに,刑事裁判のエッセンスをお伝えできるように,ぎりぎりまで内容を検討させていただこうと思います。

やはり,楽しくいろいろと考えて,他の方とも話し合っているうちに,気づいたら刑事事件のエッセンスが身についていたといえるようなイベントにできることが理想でしょうか。

そして,今回の経験が皆さんにとって,刑事裁判だけでなく,社会の仕組みや現実のニュースについて深く考えるきっかけになってくれれば,とてもうれしいですね。

私自身も,審理後の評議には加わりますので,中高生のみなさんの新鮮な視点からの議論を心から楽しみにしております。

また当日の話について,このブログの中でお伝えできればと思います。

遺言書作成の相談

今回は,名古屋市など自治体の無料法律相談でよく受ける相談内容について書きたいと思います。

弁護士の江口潤です。

 

よくあるご相談として,「書店で遺言書に関する書籍を読んで,自分で遺言書を書いてみたので,内容について見てほしい」といった方がいらっしゃいます。

たしかに,自筆証書遺言の法律上の要件を満たされているものであることが多いのですが,やはり専門家の立場からみますと,よりよい遺言にできる余地があるなあと感じます。

たとえば,遺言の方式をどうするかというところでも,実はしっかりと考えておく必要があります。
無料法律相談にいらっしゃる方は,まずは手軽で費用がかからない自筆証書遺言をお書きになりたいという方がほとんどです。
たしかに,自筆証書遺言では,公正証書遺言よりも,遺言書の作成段階の費用を抑えることができます。
しかし,遺言者が亡くなった後に,自筆証書遺言は家庭裁判所で検認という手続きをする必要があり,この手続き自体が手間なところがあるうえ,相続人全員に立会いのための通知をしないといけないという問題もあります。

そういったことを考えると,ご相談者様が書かれた遺言書を見ただけでは,弁護士がご相談者様にとって最善のアドバイスはできないということがご理解いただけると思います。

ですので,私は,まずご相談者様が遺言書を書こうと思われたきっかけからお伺いし,その上で,家族関係や財産関係についてできる限り詳細にお伺いするようにしています。

特に,相続においてもめた案件を多く取り扱う弁護士の立場から言わせていただくと,そもそも遺言書があれば大きく違った結果になったのになあと思う案件も多いのですが,遺言書があったとしても内容や方式についてもっと詰められていれば,このような紛争にはならなかったのになあと思うこともしばしばです。

ほかに,予備的遺言だとか,付言条項だとか,遺留分減殺の方法の指定であるとか,遺言書に関する書籍にはさまざまなテクニックが書いてありますから,これらについてもできる限り有効に使っていただきたいと思います。
ただ,どうしてこのような条項を入れることが,遺言者の意思を実現するうえで役に立つのかを具体的にイメージすることは難しいかもしれませんが,このような点はぜひとも専門家に聞いていただきたいと思います。

他方で,相続においてもめないようにするというためには,実は遺言書を作成するということだけでは不十分なことも多いのです。
保険金等の受取人の指定をどうするかや相続財産をどのような形で残すのかなど,考えておくべきことは非常に多いのです。

こういったところまでも短い法律相談の時間ですべてお伝えするのは不可能ですが,遺言書を作成した方がよいかどうかや,内容についてどこまで詳細なところまで検討すべきかは,遺言者の財産が多いかどうかとは必ずしも一致しませんので,みなさまにはぜひともしっかりとしたご相談を受けられることをおすすめいたします。

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生命保険契約の見直しで思ったこと

こんにちは。

4月は,いろいろな意味で区切りとなる月だと感じます。
弁護士の江口潤です。

最近,私が契約している生命保険を見直す機会があり,その際に思ったことがありましたので,今回はそのことを綴らせてもらおうと思います。

私の身内が生命保険の代理店業務をしており,今回も彼から従前の契約内容を見直さないかとの提案を受けました。
従前の契約では,保険料の支払いは死亡時まで続くという内容でした。
ただ,近年は高齢社会となっており,一般に80歳を超えて生きることが多くなってきていることから,稼得能力のあるうちに保険料を支払い終わる契約に変えるケースが多いようです。
弁護士には,会社員のように定年というのはないので,自分も何歳まで働き続けられるかはわからないところもありましたが,ともかく私も契約内容を見直すこととしました。

考えてみると,生命保険契約というのは,「早く死んだ方がその後の保険料を支払う必要がないので,得」という内容の契約であるわけです。
もちろん,だからといって早く死にたいとは通常思わないでしょうが,契約内容が「より長く健康に生きたい」と思えるような内容である方が望ましいとは考えられそうです。
そういう意味でいえば,稼得能力がなくなった後も保険料を支払い続けるものよりも,稼得能力のある間に保険料を支払い終わっているものの方が,「どうせ保険料を支払い終わっているんだから,より長く健康に生きたい」と思える契約内容だといえそうです。

実は,依頼者様から事件をご依頼いただく際の弁護士報酬についても,私は同じようなことを考えています。
というのは,私は普段から,弁護士と依頼者の利益ができる限り同一となって,同じ方向に向かえるようになるように契約内容自体を工夫しています。

ここで,「手間がかかった分だけ報酬をいただく」というのは,それ自体合理的な報酬の決め方のような気はしますが,私が普段から受けている案件では,そのような内容の契約は避けた方がよいのではないかと考えています。
なぜなら,依頼者は紛争を早期に解決してほしいと願っているのが通常であるのに対し,弁護士の報酬について事件処理が長引くほど上がるというのでは,依頼者と弁護士の利益が同じ方向に向いているとはいえないように思えるからです。
であれば,初めから一定の報酬基準や額を決めておき,事件が長引いたかどうかによって報酬は変動しないこととした方が,弁護士にとっても早期の解決に向かって努力ができるのではないでしょうか。

私は,名古屋で相続の案件を受けることが多いので,遺産分割協議を例にとって,普段から考えていることを述べたいと思います。

まず,上記のように,遺産分割が話合いだけでは解決できず,調停や審判となった場合には,弁護士の手間としては多くなってしまいますが,これで報酬が上がるとしたのでは依頼者の早期解決の利益と矛盾することとなってしまします。
ですので,調停や審判などの裁判手続きになるかどうかに関わらず,一定の報酬基準によるとした方が望ましいと考えられます。

次に,依頼者にとっては,遺産分割によってより多くの財産を取得することが利益につながるはずですから,弁護士の報酬も依頼者が実際に取得できた財産を基準に計算した方が,弁護士にとってもより多くの財産を取得しようとの活動につながりやすいと考えられます。

また,着手金についてもいただかないとさせていただいた場合には,依頼者にとって依頼をしやすいでしょうし,弁護士の方も依頼者から解任されないように一生懸命努力をするという行動につながりやすいといえそうです。

もちろん,これらの報酬の決め方は,報酬についての考え方の一つに過ぎないですし,個々の案件や依頼者のご意向に応じた決め方が必要でしょう。
また,弁護士であれば上記のような報酬の決め方をしなくとも,依頼者の利益に沿うように行動するのが当然でしょう。

いずれにしろ,自分が弁護士報酬について提案させていただく際には,このようなことを考えながら,より望ましい報酬基準となるように工夫をしています。

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遺産の家屋の占有

こんにちは。
弁護士の江口潤です。

私は,普段から名古屋市近郊で相続事件を多く取り扱っているのですが,事務所外の一般の法律相談の場でも相続のご相談は非常に多いです。

今回は,相談で多く寄せられる相続についての質問についてお答えしようと思います。

「 相続人の1人が遺産である家屋を独り占めしており,なんとかしたい 」

1.遺産である不動産の権利関係

このご質問に答えるときには,まずは相続の開始後,相続人が遺産にどのような権利を有しているのかを説明させていただいております。

相続の開始後,遺産は相続人の共有の状態となり,不動産であれば,相続人それぞれが相続分に応じた共有持分を有していることになります。

そして,当該遺産を誰が占有するのかを決めることは,一般に管理行為であるとされていますので,共有持分の過半数で決める必要があります。

したがって,過半数に満たない持分しか有さない相続人の1人が,他の相続人に無断で遺産である家屋に居住することはできません。

2.占有の権原が認められるケース

ただし,一定の場合には,相続人に占有の権原が認められることがあります。

たとえば,相続人が相続開始前から被相続人の許可を得て,遺産である家屋で同居していたケースなどがあげられます。

判例では,このような場合には,被相続人と相続人との間に使用貸借契約の関係があったとして,相続人の占有の権原が認められています。

このような占有の権原が認められるかどうかは,それぞれのケースによります。

3.明渡しを請求することはできない

判例によれば,過半数の持分を有する者からの請求であっても,不動産を占有する者に対して,当然には明渡しを求めることはできないとされています。

この理由として,不動産を占有する者にも自己の持分に基づいて占有する権原があることがあげられています。

(なお,この旨を判示した判例(最判昭和41年5月19日民集20巻5号947頁)では,権原ではなく「権限」という言葉が使われています。

この判例を引用した判例(最判昭和63年5月20日家月40巻9号57頁)では,「権原」の語が使われていますので,こちらが正しいのでしょう。)

では,どのようなケースであれば明渡しを請求することができるのかについてですが,裁判例では,「共有者全員の協議で共有物の使用関係を定め」た場合などがあげられていますが,このような協議が整うことはあまり現実的ではないでしょう。

4.基本的には金銭的な請求によるしかない

したがって,このような場合,占有者以外の相続人は,不法行為または不当利得を根拠にして,占有者に対し,持分を超えた部分の不法占有についての金銭的な請求をするしかないことになります。

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司法修習生の傍聴

先日,名古屋の裁判所の期日に出廷した際に,司法修習生の傍聴がありました。

裁判官からそれを伝えられたとき,私は独特の気恥ずかしさを覚えました。

 

というのも,司法修習生は,実際の裁判を傍聴することで裁判実務を勉強することになるのですが,これはそれぞれの事件をいわば「教材」とすることになります。

ですので,事件の記録や経緯に加えて,訴訟代理人の訴訟活動についても,修習生どうしや裁判官との間で検討の対象とされることになるのです。

 

私も,司法修習生時代には,担当の裁判官と事件の論点や訴訟の見通しについて議論するとともに,「訴訟代理人の訴訟活動について,どう思ったか」ということも話し合っていました。

特に,私の配属先は地方の小規模庁だったのもあり,担当裁判官は丁寧に対応してくださったので,「自分が訴訟代理人だったら,どうしたか」や「訴訟代理人の一つ一つの行為について,どのような意味があったか」についても,細かなところまで話し合うことができました。

そこで,「弁護士の活動が裁判官からどう見られているか」という視点を学べたことは,今でも大きな糧になっています。

 

ただ,先日の期日でも,期日は代理人にとっては真剣勝負の場ですので,私もやりとりに集中し,司法修習生の目が気になるということはなかったのですが,あの後,事件について裁判官と司法修習生との間でどのような検討がなされたのかは気になるところです。

 

司法修習生にとって,少しでもよい「手本」となるべく,日ごろから研鑽を深めていきたいと思ったできごとでした。